2011年08月22日

なつかしのローマ

ローマの最後は、観光名所めぐり。とくに行きたいという訳ではなったが、ローマの古い街を散歩すれば、自然と観光名所を通り過ぎる。相変わらずだったが、ローマが観光地なのは、すでにルネッサンス時代からだった。すでにローマを訪れる巡礼者でにぎわっていた。だから、観光地のにぎわいは、特別な光景という訳ではない。

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最初はパンテオン。天井に開いた丸い天窓から、夏の暑い熱線がふりそそいでいた。この穴からは雨も雪も降る、今日のような強烈な光。通り過ぎる人を舞台のスポットライトで照らしていた。パンテオンで唯一、外に向かって開いているこの窓は、古代ローマ人が、閉ざされた洞窟が外に開いている入り口と同じものだと感じたのかもしれない。この穴を通して、自然をより集中して観察するためのものだったのかもしれない。

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そして、トレヴィの泉に。ここで、マストロヤンニと彼女の映画のシーンが撮られた。たぶん朝方で、今とは対照的に、誰も居なく、静かで、泉に流れ落ちる水の音だけだ。目をつぶって、耳をふさいでも、あのシーンを思い出すことができなかった。それほどの喧騒だった。

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ここはスペイン階段。バロックの旋律の軽快なリズムの階段だ。季節はずれの栗売りが居た。冷凍栗か?その前を、観光客と、ものごいのババがいる。小銭をくださいという。決して恥でも何でもない。立派な職業だと思っている。プロだから、ケチ野郎とか有難うとかは決して思わないに違いない。ただ、黙って、もらったものをポケットにしまうだけだ。

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最後はコロッセオ。この前に、たくさんグラディアトーレ、剣闘士の格好をした人たちがいる。私が、ローマに着いた日に、新聞を買ったら、彼らの取り締まりの写真が出ていた。どうも、写真を観光客と撮らせて10ユーロをせびる。ガイドのツアーが来たら、この場所は彼らの領地なので、ガイドはこの剣闘士たちが無理やりして、お金を取る。このことが目に余る行いとなり、当局、たぶんローマ市警察の取り締まりに会ったのだろう。だったら、グラディアトーレなのだから、コロッセオのなかで血の雨をふらせれば、観光客はもっとお金を奮発したに違いない。お金が欲しければ命を惜しむな。と言いたい。

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これは、私が30年以上前に住んでいたアパートだ。一番奥。ニッポン人の絵描きと一緒に住んでいた。その後、私は帰国し、今回はじめて訪れた。場所は、昔のオリンピック競技場の近くで、バスの終点で、街のはずれだ。その建物はきれいに修理され、こぎれいになっていた。近くに住んでいるお年寄りに、ここにニッポン人の絵描きが住んでいたのを覚えていますか?と聞いたら。昔、私が若かったころだ。と言う答え。その人は、髪は白く、見るからに老人だった。それは遠い遠い昔のことだった。

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最後は、私がローマに住んでいた頃に、一番好きだった、トラステーベレのカフェだ。ジァニコロの丘に登る道で、脇に門がある。このカフェの外の椅子に座って、夕日を浴びながらお茶を飲むことが好きだった。いまでもそのカフェはあった。しかし、夏休み中だ。その願いは次回に果たそう。
ラベル:ローマ
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2011年08月21日

アンジェロ橋を通り過ぎて

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ローマ観光をして、通り過ぎたのが、このアンジェロ橋だ。考えてみれば、橋の欄干にアンジェロの像をのせ、しかもそれぞれが手にいろんなものを持っている。十字架、柱、釘、木の枝、布、槍とか、それぞれはいわれがあるのだろうけど。なかなかのアイディアで、彫刻も美しい。そのアイディアはベルニーニのよるものらしい。1600年という時代だからできたことだ。現代なら、スティールか、レーザー光線で装飾することになって、その下を通り過ぎるときは、渋い表情になって、やめてほしいと、心の底で叫んだにちがいない。やっぱりローマだったら、あの時代に生まれていれば、よかったのにと思った。

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2011年08月19日

ムゼオからの眺め

ローマ、ナポリの美術館に行った。もちろん、所蔵している美術品はすばらしい。その時代のアートを作ってきた人たちの見方や考え方を知ることができる。時代ごとのリアリズムの表現が素晴らしかった。イタリア人の生々しい表情がそのまま大理石やフレスコやモザイクに表れている。そして、これらの美術館を訪れて、楽しいのは、窓からの眺めだ。窓からは、街の風景や、前に立つ建物や中庭が見える。展示されている古代ではなくて現代が見える。古代から見た現代が見える。

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これは、Galleria Nazionale d’arte Antica(Plazzo Barberini)バルベリーニ美術館。ラファエロやカラヴァッジオに会える。

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MAXXI Museo Nazionale delle Arti del XXI Secolo 21世紀美術館。
展示されているものよりも、展示場の建築を見に行く感じ。最上階にたどり着くと、窓から現代のローマが見える。

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Museo Archeologio Nazionale di Napoli,ナポリ考古学博物館。ポンペイから出土した、フレスコ画、モザイコ、彫刻、パラティーノからの大理石の彫刻がある。どれも一級品だった。現代のナポリの街が見える。
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2011年08月17日

生きているアグリッピーナの像

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ナポリにも日帰りで行った。私は30年ほど前に行ったことがある。その当時、ナポリの考古学博物館にも行った記憶があるが、今回、再び訪れることにした。この博物館は、ポンペイの出土品があるので有名で、モザイク、壁画を堪能した。十分味わった。保存状態も良く、当時の生活や古代ローマ人の感性を知ることが出来た。
今回、感動したのは、やはり古代ローマ人のリアリティな彫刻だった。像は、「座ったアグリッピーナ」で、紀元後1世紀頃の制作だ。アグリッピーナと言われているが正確には誰かは不明。もし本当だとすれば、皇帝ネロの母親になる。この彫刻は、ギリシャの紀元前5世紀のブロンズの像に近いと言われているが、定かではない。古代ギリシャの彫刻は、様式的で、抽象的で、理想化された人の姿といえる。従って、誰だかわからない。しかし、このアグリッピーナの像は、初めて見て、あたかも生きているようだ。中年の女性が椅子に座っている。手を組み、リラックスした表情で、顔をすこし斜めにして、何かに視線を向けている。ポーズをとっている。顔の表情も、普段のもので、いまにも何かを語りそうだ。
古代ローマ人の彫刻は、リアリティがある。このファルネーゼのコレクションには、現代人そっくりの彫刻がたくさんある。友人や知人に似ている。街で見かける顔もある。生きた、生き生きしたリアリティのある彫刻だ。

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2011年08月16日

カラヴァッジオのリアリティ

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今回のローマは、もう少しカラヴァッジオCaravaggio(171-1610)を見ることだった。バルベリーニの美術館でも見ることができた。カラヴァッジオの絵は、写真を撮る私にとってもいろいろ参考になる。だいたい、中望遠のレンズで撮影した構図だ。広角でも、標準でもない。また、絵の中の光は、ハイライトから黒までのヴァリエーションが幅広く描かれ、ある意味では光の表現が、豊かだと言える。現実の光と影はもっとコントラストが強く、中間的な部分は黒くつぶれている。その中間光を、現実よりも、幅広く豊かに描いている。
そして、絵のリアリティというよりも演出的なリアリティは驚くべき面がある。前回、気が付いたのだが、サン・ルイジ・フランチェージ聖堂のVocation di San Matteoの絵の上部に窓がある。この窓を詳細に観察すると。現代だとガラスがある各部分には、この絵が描かれた1600年当時には、たぶん紙か油紙が貼られていた。その明り取りの紙を抑えるために、糸が使われて、クロスしている。一本は斜めに張られ、もう一本はそれと反対に張られ、交差する点で、固定されている。そして、今回気が付いたことだが、左上の部分のこの糸は、クロスする2本のうちの1本が切れているではないか。つまり、カラヴァッジオは、この窓の明かりとりの紙を抑える仕組みを、説明するために、わざとそういう表現をしたと考えられる。単なるリアリティの表現、あるがままの表現ではなくて、リアリティを演出している。たぶん、そういう点がリアリティを超えた、絵画表現なのであろう。カラヴァッジオのすごさを発見したような気がした。
最後の写真は、かつて撮影された詳細をさらに私が複写した。これは、教会内に展示されていた写真。現状の絵からは、この詳細部分がぼけた状態で、双眼鏡でも観察がむつかしい。たぶん、絵が自然光などの影響で、傷んでいると考えられる。

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