2010年09月16日

ミラノの風景が変わる

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ミラノが2015年の万博に向けて、新しい都市建設に向けて、拍車をかけている。現在はロンバルディア州の役所になっている中央駅前のピレッリビルは、1960年に建設された。それ以後、ポツリポツリと高い建物はあるが、際だった高層ビルの建設は無かった。このミラノも、あのエディンバラと同じく1900年はじめから1930年頃までが都市建設のピークであった。だから、街の風景は、ネオクラシックからリバティ(アールヌーボー)の建築様式となっている。多くのヨーロッパの地方都市は、この時代に建設されたようだ。
いま、ミラノはそのとき以来の建設ラッシュで、これを機会に街の顔も変わるのであろう。
聞くところによると、この新しい建物の床はまだひとつも売れていないらしいけど。

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先週の日曜日の新聞に、そのビル建設ラッシュに巻き込まれた居住者の投書が載っていた。この写真の古い建物、1936年建設のアパートの住人だ。投書の本人は70歳で、彼が住んでいるアパートはすでに35年を経過している。それは彼の人生であり、生活であり、彼自身そのものだという。その歳でどこに行けというのか?代替の建物の提案もあったがうまく行かなかった。目の前の建物は後から来た侵入者だ・・・・というもの。当然といえば当然だけど、これが都市というものの宿命かもしれない。
でも写真を見る限り、トウキョウの風景と変わりない。ミラノからするとすごく奇異だけど、ニッポンの超高層と木造建物との対比ほどではない。人の目もこの風景に慣れて、これがあたりまえになる日も近い。
ラベル:都市の風景
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2009年07月31日

自転車は歩道を走って良いか?

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今日、自転車で街を走った。この暑さで、すこし日差しがゆるくなる夕方まで待って、買い物に出かけた。いつもの様に、歩道を自転車で行った。車道の横断歩道のところで、先方から車が来るので、止まって待った。そうしたら、その車を運転する紳士が、横断歩道の前で止まり、行け、という合図をするのだ。そうして、その後ろに、スクーターに乗ったオジサンが、その車の後ろで、仕方なしに止まり、待っている。私は、急いで、自転車に乗って、横断歩道を渡った。そうしたら、スクーターのオジンが、通りぎわに、「自転車で歩道を走るな」と、私に向かって、どなった。車の紳士とスクーターのオッサンとの対応の違いに、とまどった。
私は、街を走るときは、できるだけ歩道を走るようにしている。しかたなく、車道を走ると、1日に1度や2度は、ヒヤーとする。年に、自転車の交通事故で、ミラノ市内で200人くらいが亡くなる。わたしもそうならないように、歩道の広い道路を選んで、走るように心掛けている。ついこの間まで、自転車は歩道を走っていけない、ことになっていた。しかし、この車道の危険な状態から、歩道を走るのが、暗黙のこととなっている。ときどき、半年に一度くらい、自転車は歩道を走ってはいけない、という人がいる。でも、警官がいても、一度も注意されたことがない。
自転車道が歩道と同居している道がある。パドバ通りVia Padovaだ。歩道を広くして、人と自転車が問題もなく一緒だ。この通りはロレート広場から、始まっているが、自転車道はいきなり広場の車道に向かって終わっている。ここからは車道を走れと言わんばかりだ。ちなみに、この場所はムッソリーニが殺されて、愛人と一緒に、逆さに吊るされたところだ。まあ、こんな風に自転車と歩道は問題なく同居できると、私は確信を持っているのだが、まだ、この問題は真剣に議論されていないようだ。
最近バイクミーBikemiという、共同利用の自転車が市内にたくさん置かれている。登録をすると、2時間以内なら、100か所あるステーションから他のステーションまで自由に使うことができる。最近使う人を見かける。そして、この自転車のステーションはすべて歩道の上にある。車道を走るなら、車道に作るべきだ。中央駅も見ての通り、歩道の上だ。そして、サービスの説明をHPで解説している。どこを走れというのか、読んでみたが、はっきり書いてはいない。ただ、重要なポイントとして、交通規則を守り、横断歩道を尊重すること。これは、車道を走ることを想定している。そして、常に歩行者を優先すること。これは歩道を走ることを想定しているものと考えられる。バイクミーは毎日3500人が利用し、自転車専用道路も2011年には120キロ、2015年のEXPOには190キロにまでする予定だそうだ。
それよりも、スクーターのオヤジに、どなられないように、きちんと、自転車はどこを走って良いのかを議論して、決めてほしい。この曖昧なままでは、バイクミーもやっぱり駄目だった、となりかねない。
posted by perabita at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ウルバニスティカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

ミラノ中央駅の悲しい記憶

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月曜日に出張に行くので、電車のチケットを買いにミラノ中央駅に行った。家の前のエージェントでは、最近1チケットにつき1ユーロの手数料を取るようになった。小額だけど、チケット代金からコミッションを取り、お客からも取りで、何だか許せない。それで、駅で並んで買うことにした。

せっかくだから、最近ようやく改装が完成したミラノ中央駅Milano Centraleを見てまわることに。このミラノ駅は、1925年着工、1931年7月竣工となっていて、スタッキーニUlisse Stacchini(1871-1947)の設計による。ムッソリーニが首相に就任したのが1922年だから、この駅は、ファシズムの威信をかけたモニュメントだった。ただの駅がこんなにも巨大で、大仰なデザインである必要はない。しかも都市的には、長く大きな建物が街を分断し、ミラノやローマの終着駅は、じゃまものでしかない。また、駅がモニュメンタルに巨大であるもう一つの理由は、鉄道は、車や船舶と同様に、新しい時代をになっていたからだ。その証拠に、駅のホールに、機関車、車(写真)、船のレリーフが飾られている。だから、時代の最先端とファシストたちの好みとしても、大きく、重々しく、しかもモダンである必要があった。これを反映して、レリーフと彫刻が古代オリエント趣味のクラシック、モダンなアールデコー調と、ファシストのシンボルが随所に見られる。ただ、当時書かれた標語のようなものは戦後に消されて、今は無い。今回の改装では、このアールデコースタイルの照明がいくつか復元されている。なかなか面白い。
イタリアの都市は、都市がたどってきた記憶を記す場所でもある。ニッポンの都市のように時間の記憶が消えてしまうということはない。輝かしい記憶もあれば、悲しい記憶もある。一番端の21番線ホームの壁にこんな碑が書かれていた。「1943年12月から1944年5月の間に、この駅の地下から、ユダヤ人の男、女性、子供たちや反政府活動の人たちが、アウシュビッツや他のナチ収容所への長い旅に出た。彼らの記憶は我々のなかに生きていて、20世紀の大量殺戮の犠牲者だ。それぞれの苦しみは我々の苦しみだ。」この文章は、プリモ・レーヴィPrimo Levi(1919-1987)で、自身もアウシュビッツに送られ、生還した、イタリアの作家のものだ。
新しいミラノ中央駅の改装は、これまでのチケット売り場狭く、東西の交通遮断を解消するために、長いランプ式のエスカレータを導入して、全てが1階からスムースにアプローチが出来るようにした。なかなか優れた設計だ。照明、レリーフ、天上の明り取りなどが修復された。
posted by perabita at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ウルバニスティカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

直径60mの楽天地、ピオラ広場

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私はよくこの広場Piazzale Piolaを通る。郊外の自転車道に行くときや、ランブロの公園に行くときに。通るたびに、広場は不思議な形をしていている。というのは、この広場には7本の大通りが交差している。ミラノ中央駅方面、ランブロ駅方面、南に延びるロマニョーラ大通り、すぐの大学に行く道、など。普通の交差点は4つの通りが交差するが、ここはさらに主要な環状線の役目の大通りが加わっている。
この交通の要所となるときは、多くの場合、円い道路が作られる。車は左回りで、ぐるっと目的の通りに曲がっていく。曲がりそこねても、もう一回まわれば、目的の道に入ることができる。そして円環の内側が、樹木がある公園になっている。あの、競馬場の内側の芝の公園のようなものだ。直径が60メートルくらいあって、楽天地のようだ。まわりは車が常に走り、騒音がしているが、内側は、真空地帯のように、開放的な空間となっていることがわかった。いままで、あまり中に入ったことが無く、外から眺めて、車の排気ガスに囲われて、さぞ居心地がわるいのでは、と勘違いしていた。
中央には、ベンチがあり、夕涼みのカップル、中国人の若者、読書する人、訳ありそうな女性、そして私が坐っていた。小鳥のさえずる声がして、都会の自動車サーキットが取り囲んでいることを忘れさせる。
そうして、この公園を最も繁盛に利用するのは、犬の散歩人だ。どの公園でも、犬を放して遊ばせる、金網で囲われた場所がある。アパートで犬を飼う人たちが、集まってくる。たて看板があって、月2回この犬の場所が、消毒されるので、その時間帯は利用できない。そしして、犬の糞を処理しようとあり、一番下にビニール袋の箱が付いていて、忘れた人は、利用して下さいとある。いたれりつくせりだ。犬を4匹づつ連れた人が、「明日の朝もまた、お会いしましょう。」と挨拶していた。
このような、都会の真空地帯には、人の気持ちをホッとさせ、ゆったりとした時間が流れている。
ラベル:広場
posted by perabita at 08:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ウルバニスティカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

余りのオアシス、ポケットスペース

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いつもジェラート(アイスクリーム)を食べに行く店がある。昨日の長ーい公園の端に接している。ここは、ジェラートがおいしいのと、普通は2味のコーンで2ユーロなのだが、いまだに1.7ユーロだ。いつも近所の人でにぎわっていて、いわば地域のオアシスになっている。それは、ジェラートがおいしいと言う理由だけではなく、都市的に特殊なスペースのためでもある。
この場所はラヴァテール広場Piazzale Lavaterという住所になっているが、誰もそう呼ばない。なぜなら、広場と呼ぶには、その形が広場らしくないからだ。L方の開いている方に、ストッパーニ通りが通過していて、いわば余りのスペースを形成している。ポッケットスペースとも呼んでも良い。2方向道路が取り囲み、本来なら空き地であったはず。そこに、公園のように木を植えた。樹木のスクリーンで車のから遮断して、夏は日影を作り出す。そして、Lの短い面には、小学校があり、道路の一部が歩行者専用になっている。Lの長い面には、ジェラート屋以外に、食べ物の店が並んでいる。端から、モダンなバル、小さなカギコピーの店、ウォリーのジェラート屋、ピッザもあるバル、最後にトラットリーアだ。ピッザやジェラートは、小学校に子供を迎えに来た母親が、子供と一緒に、小腹の虫をおさえるために利用している。夜は別のお客が来る。角のモダンなバルには、若者がおしゃべりとアルコールを目当てに、にぎわう。
このポケットスペースは、この地域の建設から時100年は経過して、樹木は当時植えられたもの。当時は、道路を建設した余りスペースで、木でも植えておこうと言う発想だったにちがいない。だが、余りが故に交通から解放され、食べ物屋が並ぶことになり、安心してジェラートを食べたり、休憩したりできるオアシスが出来上がった。都市のなかでは、余りのスペースが、時間の経過とともに、生き生きとした場所になることがある。
posted by perabita at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ウルバニスティカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする