2011年01月22日

ブラマンテありがとう

私の友人のおばさんは建築お宅だ。例えば、いつもパヴィア方面から帰るとき、丹下氏の設計になる確かBMWの事務所の前を車で通るとき、必ずといって良いほど、私はこの建物が好きだ、という。その彼女と一緒に都心に出たとき、この冬空に、アイスクリームを食べたい、どこか店は無いか、という。どの店も、それはおいていなかった。では、ついでにブラマンテを見るかという。このドーモの近くで、なんとブラマンテBramante(1444-1514)が設計した教会があった。私も、見過ごしていたので、改めて見直した。教会の名前は、Santa Maria presso San Satiro(1482-1486)教会という。ドーモからトリノ通りに出て50メートルくらい行って左側にある。靴の専門店とエナジーという若者向けのジーパン店の間にある。ただ、教会の中の正面祭壇が偽パースぺクティヴになっているのが有名らしいが、私的には悪趣味と言わざるを得ない。これはブラマンテの作ではない。

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これは、教会の裏側で、教会の正面よりも、裏の方が造形的には美しい。そのことをブラマンテはよく知っていた。ファルコーネ通りとマッツィーニ通りに角だ。彼の修復になるサンタマリア・デレッレ・グラツィア教会も、バックの美しさを、通りから見るようにできている。写真の手前は、洗礼堂でブラマンテが修復した。下部は、円く張り出し、上部に四角、その上に八角形のドームが乗る。異なった、曲線と直方体の組み合わせは巧みだ。さらにその後ろには、教会本堂のドームと尖塔がそびえる。ブラマンテは、完全に一人での作品は無く、地味な建築家の様だけど、とても力強い造形美、建築美を見せてくれる。

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そして、その造形感覚は非常に現代的でもある。この教会の側面にあけられた丸い窓。普通ならこんなところには穴は開けない。壁面の丸い穴、しかも6個の大きな穴は、鉄板にプレスした様にシャープで、無機的だ。そして、この洗礼堂の建物を際立たせるためか、他の部分との縁を切っている。現代的にはアーティキュレーションと呼ぶ。つなぎ部分は、現代ならガラスが入るのだろうけど、マリアの絵があり、もう一方の側は、中世の塔に接して、隙間を作っている。もう感覚的には現代建築、コルビジェだ。

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そして、トリノ通りの正面入り口。大通りから引っ込んで、正面がチラリと見える。この、引っ込んだ部分は、小さな教会前の広場があって、その周りの建物もブラマンテ風のスタイルでまとめてある。ブラマンテは、その時代の建築家がそうであったように、都市的な建築手法も心得ていた。それは美の都市を作り出す美の建築なのだ。ブラマンテのおかげで私に建築がよみがえる。
タグ:ブラマンテ
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2009年08月31日

トリノの超バロック教会

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トリノに行った続き。お昼の食事を、リーズナブルでおいしく食べたい、と思った。ガイドブックもなく、しかたないので、インターネットで探すことにした。それらしい店は、イル・バカロIl Bacaro Piazza della Consolata Tel 011 436 9064だ。
お昼どき、映画ミュージアムの後、イル・バカロをめざした。着いたら、小さな広場で、同名の教会があって、レストランはテントの日影で、テーブルが並んでいた。聞くとヴェネツィア料理だそうだ。でも、郷土料理はすでに売り切れ、野菜ラディッキオのソースのパスタ、鶏にした。それにプロセッコ(発泡の白ワイン)で、満足した。

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このコンソラータ広場の、教会Santuario Basilicata Della Consolataに入った。驚いた、バロックだ。しかも楕円のドームがいくつも連なって、こんなに複雑に入り組んだバロック建築を見るのは初めてだ。16、17世紀のバロックはローマでたくさん見た。どれも、楕円の空間がきれいにまとまっている。こんなに、複合的な、楕円空間の連なりを見た経験はなかった。コンソラータ教会の歴史を調べてみると。3期に渡って、当時の著名な建築家によるもので、1期は17世紀中ごろで建築家グアリーニGuarino Guarini、2期は18世紀中ごろでユヴァーラFilippo Juvarra、3期は19世紀末でCeppi-Vandoneが1904年に現在の形に完成させた。だから、スタートはバロックの末期で、完成したときには、近代ということで、時代的にはバロックとは言えない。バロック的な建築様式が駆使されているが、感性はモダンな、技巧的な空間構成を見せている。実際に、教会の中を歩いてみると、いくつかの楕円の中を、迷路のように連続したダイナミックな空間を体験できる。この時代になって、初めて、ソリッドな実の部分よりも連続する空の部分が発見されたのかもしれない。ピラネージ、ソーン、グアリーニ、ユヴァーラがつながった。
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2009年07月25日

サン・ロレンツィオ・マジョーレ

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この教会Basilica di S.Lorenzo Maggioreは、ポルタ・ティチーネーゼ通り面している。通りには路面電車トラムの3番が通り、すれすれのところに、コロンナと呼ばれている古代ローマの列柱が並んでいる。私は、かつてこの近所に住んでいたことがあったので、いろんな店や理髪店、バルやこの教会は前から知っていた。そして、週末の夜になると、ミラノ中の若者が、たぶん近所の、たくさん集まり、何をするでもなく、ビールビンを持って、立ち飲みをしている。ビールは近くのバルや店で、1本2.5ユーロで売っている。若者が麻薬や売春や飲酒や暴力さたがあると、必ずマスコミはこのコロンナの広場に取材にやってくる。でも、私が見る限り、彼らは普通の、どこにでもいる若者だ。悪人は余り居ないように思う。
広場の中央に像が立っているが、誰だか知らない。たぶん、右手に、勝利のシンボルを持っていたが、政治的なことから?いまは力こぶしになっている。この教会は、普通の十字形の平面ではなくて、紀元前5世紀頃に建てられた初期キリスト教会を再建したためか、円形の少し変形したかたちになっている。1573年に、再び前のドームが崩れ落ちたため、Martino Bassiという建築家によって再建され現在の形になった。だが、この円形変形の教会は、正面がどこか分りにくいためか、見るからに教会として使いにくい様子だ。でも、建築的な造形はみごと、と言えよう。

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この教会の中に、2ユーロ也を払って見せてくれるサンタ・アクイリーノ礼拝堂Cappella di S.Aquilinoがある。これも5世紀頃の初期キリスト教時代に建てられたもので、いまだにキリストのモザイク像を見ることができる。この建物の地下に入ると、この5世紀以前の、古代ローマ時代の建物の石を基礎にしているのが分る。この教会が建つ前は、バシリカ、半円劇場、競技場などが周辺にあった。それらに使われていた柱や梁、基礎の貴重な石の部分は、再利用されて中世の建物がつくられたのだ。写真の見るように、中央の部分に木の梁を集中させて、床をつくっていたに違いない。教会の裏側から見ると、ダイナミックに、5世紀頃の建物が見える。白い部分は16世紀の再建した部分だ。
まあ、こんな風に、ヨーロッパの都市は、ニッポンの都市のように更地にしてまた新しく立て直すというのではなく、さまざまな時代の遺物が層をつくって、現在がある。歴史的な時間が重なって、継続して連なり、繰り返すと言うことはない。
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2008年12月09日

時代に飲み込まれたサンタ・アガタ教会

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今日は祭日だったため、新聞ネタがないせいか、スカラ劇場のドンカルロの話がいっぱい掲載されていた。テノールの主役が直前で交代になったことがやり玉になり、拍手もあったが、やじ(口笛の)も相当あったという。主役は異常に太っていて、この役には問題外の体形だ、とか書いてある。モラッティ市長は、アルマーニのきらきらする紫のドレスを着て、観客800人を、劇場の向かいのマリーナ宮殿で、夕食をもてなした。この招待された人たちは、政治家や、会社の社長さんたちで、2千ユーロ(たぶん)の高額チケットを購入した。だから、リゾットミラネーゼ(これだけ?)でご飯をごちそうしたと言うわけだ。しかもマリーナ宮殿は市役所なのだけど。日本では考えられないことだ。ここはイタリアだから、普通のこと。これで、ミラノ市は相当もうけたにちがいない。

午後、自転車でマルテサーナの専用自転車道を走った。途中、15キロくらい行ったところ、カッシーナ・デ・ペッキというところに、建築家ペレグリーノの設計した教会がある。残念ながら、教会は閉まっていて、外観しか見学できなかった。現地に着いたらもう夕日が傾き、黄金色に輝く教会を見た。しばらくして、黒い2頭だての馬車が通り過ぎた。おお16世紀の世界だ。この教会の正面は、そんなに良くはないけど、ディテイールは、なかなかのもの、シャープで、クラシックなデザインが新鮮だ。
実は、ペレグリーノは1572年頃にこの教会を建てた。十字形のプランで、特徴のあるデザイン。当時としては最先端の建築だったに違いない。見慣れぬ形のためか、その後1725年頃に、増築をされ、建物正面もつくりかえられてしまった。それが現状の建物だ。ペレグリーノの建築は理解されず、壊された。そして、出来あがったものは通俗的な普通の教会になった。内部は、当初の16世紀の状態が残っているようだ。次回に。

建築は常に時代に飲み込まれて、跡形も無くなってしまうのだろうか。ISOZAKIというニッポンの建築家が、イタリアの新聞記者にインタビューを受けて、嘆(グチ)言っていた。「私達はもうクラシックな理想や伝統からはほど遠くなってしまった。1985年頃から、コンピュータで設計をするようになり、若い建築家はデザインをすることもなく、建築彫刻も生み出さない、リアリティの無いイメージの世界にとどまっている。」よい建築をデザインするには、ブランクーシーやマレヴィッチやデュシャンを手本にしなければいけない。とか語る。建築家ISOZAKIさんは、ボローニャ駅のコンペで入賞し、ミラノのEXPO地区に高層ビルのプロジェクトを進めている。
やがて、ペレグリーノのように、次の若い建築家によって、彼の建築は破壊されて行くのだろうか。もうすでに、時代は先を行っているような気がする。
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2008年11月26日

円形の教会サン・セバスティアーノ

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建築家ペレグリーノの第2弾、サン・セバスティアーノ教会San Sebastianoだ。
イタリアのほとんどの教会は、ニッポンのお寺や神社と違って、信者がお祈りに来る。ミサも時間通りに朝、昼、晩と決まった時間に行われている。そのミサの1時間前くらいから門が開いて、中に入ることができる。それ以外は閉まっていて、見学することが出来ない。

このサン・セバスティアーノ教会は、外から見ると、円筒形をしている。外観が普通の教会とは違って、丸い、先日のサン・カルロ教会と同じようなスタイルだ。この教会も、ペストと関係している。1576−1577のペストの大流行の後に工事がはじまっている。大司教のSan Carlo Borromeoのお抱え建築家だったペレグリーノが、ペストの脅威から守るために建てた教会といわれている。市民の神殿といわれ、今でも毎年1月20日にミラノ市がセレモニーを行っている。つまり、教会なのだけど魔よけの神殿なのである。
古代ローマ時代からパンテオンをはじめ円形のスタイルの神殿があった。ペレグリーノの図面を見ると、明らかにパンテオンを意識した設計となっている。内部は半球のクーポラがあり、平面もパンテオンとほぼ同じ円形のかたちをしている。1577年に工事がはじまり1603年に完成している。ペレグリーノは1596年に亡くなっている。設計、工事は別の建築家によって完成されている。建物は、ペレグリーノの設計とは少し違っている。クーポラの立ち上がり部分が高くなっていて、シリンダー部分が大きくなっている。たぶん、構造上の問題から、現状のように変更されたと考えられる。だから、外観は円筒部分のが高くなっている。内部はパンテオンのように完全に球が内接しているのではなく、下のシリンダー部分が少し高くなっている。
まあ、ペレグリーンの理想はパンテオンの再現だったようだが、現実は少し違っている。また、外観も当初から円筒形で考えられている。時代の好みなのか、経済的、構造的な問題のためか、分からない。
もう一つの問題は、ペレグリーノは、円形の、使いにくい平面の機能的な問題をどのように解決したか?
それは、入り口とその正面には祭壇を設け、柱で区切られたところに、浅いカペッラが作られている。こうすると、コンパクトで、円形でも一般の教会と同じような機能を持たせることができた、と思われる。機能的な問題も解決されている。図面類は以下に掲載されている。
http://www.cisapalladio.org/annali/pdf/a10_09_saggio_Antonini.pdf
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