2012年09月23日

Fabio Mauri(1926-2009)展

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美術の秋なのに、こんなお粗末な状態の年はなかった。経済的に危機が、こんなに文化に影響があるのは困ったものだ。まともな展覧会はピカソ展だけ。これならお金がとれて、採算があうという計算なのか?そして、ただのFabio Mauri展があった。正直言って、内容的に面白さはなく、唯一、このユダヤ人が残したバッグをつみあげてあるのが良かった。むろん、バッグは本物ではないだろうけど、バッグには、ナポリやフィレンツェの戦前の有名ホテルのシールが貼ってあり、お金持ちユダヤ人が、ナチに捕まる前は、きっと、豊かな生活を楽しんでいた、という想定なのだ。でも、このシールは本物のように見えるが、どうか?


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2012年09月10日

セザンヌの絵のモデル

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セザンヌ(1839-1906)は見るからに抽象的で、フィロソフィーを絵に描いたのではと長い間考えてきた。世界は球体で、直線ではなく曲線で構成され、キョウビズムの言うように、自然は基本的な立体で成り立っていると。ところが、AIXにてみると、郊外の樹木はセザンヌが描いた絵そのものだった。トローネというところは、セザンヌがキャンバスを立て、サンヴィクトール山や森や樹木を描いたところとして知られている。私は自転車で、上り下がりの多い道を走った。途中で、どの樹木も山もセザンヌの絵そのものだった。抽象的なテーマであっても、絵として描かれているものは、周囲の自然そのものであった。絵は決して絵空事ではなく、セザンヌは目に見えたものを描いた。が、彼の考えで正直に歪んだ姿になっている。ということに気が付いた。
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2012年01月28日

衝撃的なセザンヌ

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昨日、行こう行こうと思っていたセザンヌ展を見た。セザンヌ(1839-1906)は、これまで雑誌や本で知っていたが、このようにまとめてみたのははじめてだ。まあ、そうだろうな、と思っていたのだが、実際に見た感想は違っていた。衝撃的であった。どの絵も、セザンヌは何を思って描いたのか考えさせられる。木曜の夜だったので、ボランティアの解説者が次から次に説明をしていた。しかし、どの解説も表面的で、この絵は、水平と垂直で構成されています、というウソを語っていた。よく見ると、額の水平に対して、絵の水平線は、傾斜している。確かにまっすぐな直線であるけれど、手持ちで撮った写真のように、全体に歪んでいるのである。
この絵も静物で、本来なら、青いビンは垂直に、まっすぐ立っていなければおかしい。しかし、重力の法則に反して、歪んで立っているのだ。セザンヌは、自然は円筒や、球でできている、と言ったのだけど、それは、自然のものが円筒や球だと言ったのではない。たぶん、自然を構成している空間が円筒や球なのだ。そういう関係を保っているということだ。だから、この青いビンだって、地球の中心に向かって立っているか、あるいは球の幾何学に従っている。セザンヌの絵がすべてこのような観点で描かれていることを知った。それは、私には大きな衝撃だった。

ブログの更新がままならない。それは、しなければならない仕事だけではなく、写真がうまく撮れないことも理由のひとつだ。このまま自然消滅して良いかとも思っているが、できるだけムリな努力をしないで続けていく。

ラベル:セザンヌ
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2011年08月30日

アンナリーの風景画

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ミラノのコピー屋さんの画廊で知り合ったアンナリー・リヴァ(1982-)さんの個展があった。彼女は、ピアチェンツィアの生まれで、住んでいるのは、その近くのカサールプステルレンゴという長い名前の街だ。展覧会が開かれているのは(9月4日まで)その街の広場にあるお城の一画だ。ミラノから1時間に1本のローカル線で着いた。
ミラノではスペースの関係から小さな絵が展示されていたが、今回は大きく、十分に満足のいくものだった。

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私が気に入ったのは、この絵だ。本人いわく、甥について描いたものだという。この絵の中央には、たぶん3人の人物が描かれていて、一番左には顔の輪郭があって、眼と耳、鼻が確認できる。そして下に体があって、名前が書かれている。右二人は、輪郭がないけど、眼、口が何となくわかる。上には、家?か骨壺か?さらに上には空が?下部は暗くなっていて、右側には木の根っこが描かれている。
写真というものは、現実のものをある見方で切り取ったもので、写真家がどんな風に現実を見たかが問われるし、表現される。絵は、画家が再構成したもので、現実ではなく、思い描いたイメージが映されている。私は、アンナリーの絵は風景だと思う。どの絵も風景が描かれ、風景の中に、いろんな人物や物がシンボリックに構成されている。そして、もっと素晴らしいのはそのデテールで、模様や、影や、テクスチャーが驚異的に美しく描かれている。その中にも、水や家や木からなる風景を読み取ることができる。

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ラベル:個展 風景画
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2011年07月10日

絵を信じている人の絵

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先日というか、すんだ今週の中ごろに、例によってコピー屋さんがやっているギャラリーにグループ展があるというので行ってみた。名前は、「市営プールPISCINACOMUNALE」という。歩いて20分くらいの住宅街の中にある。さすがグループ展だけあって、関係者が多く、たくさんの若者が来ていた。アート系の若者といってもそれほど変わっているわけではないけど、大体がアカデミーを出て、仕事をしながら絵を描いているのが普通だ。今回は、11+1展と言うタイトルで12人が出展した。さまざまで、ボール紙を箱にしたものやら、はな紙のような薄いものを人型に切り取ったものや、絵の具ではないもので描いた絵や黒いなかにうっすらと見える絵とか、とれも気に入らなかった。だいたいモダンなアートというのは、よっぽどでないとロクでもないのが普通。昔は決して見なかった。なぜなら、描いている本人が、キャンバスや絵の具、絵の題材、絵そのものを否定しているからで、そういう人たちの絵は面白くないのが当たり前。期待する方が間違っている。

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そういう中で、キャンバスに抽象とも具象とも、いや具象的な絵が気に入った。絵そのものは、クラシックな基調で、色もテクスチャーを演出していて、この人は絵というものを信じていると思った。名前はANNALI’ RIVAという。写真左の人。ピアチェンツィア方面に住んでいて、普段はもっと大きな絵を描いているという。何かすばらしい。3年前にランドスケープも勉強したという。話ができた。今は、プールの監視人の仕事で、こんなに黒い。あんまり絵の話はできなかったが、イタリアはアーティストが多すぎる。だから売れるチャンスもすくないらしい、こういう人が良いチャンスがあればよいなあと思った。
ラベル:絵画
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