2011年11月06日

パリで出会ったダイアン・アーバス

パリでモネのL’ORANGERIE美術館に行ったときに、ルーブルの庭園のセンター軸の向かい側に写真、映画専門のJEU DE PAUME美術館があって何とダイアン・アーバスDiane Arbus(1923-1971)の回顧展が行われていた。来年の2月まで。私は、かなり以前からアーバスは気になる写真家で、いつかきちんと彼女の日記を読んでみたいと思っていた。私の写真のバイブルであるスーザン・ソンダークは、著書「写真論」で一章を設けて語っている。いつかは、私もアーバスについてまとめてみたいという気持ちから、この展覧会を興味深く見た。多くの写真はすでに写真集で見たことがあったが、今回は200以上の、未発表の写真も含まれている。ソンダークの記述も参考にしながら、アーバスの写真について触れておきたい。

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(JU DE PAUME美術館から見た景色)

アーバスの写真は、ほとんどが人物を対象に撮られていて、いわば肖像写真といえるかもしれない。でも、普通の肖像写真は有名人か、名もない人であっても正常である。しかし、アーバスの肖像写真に写っている人物は普通ではない。1960年の数年はヌーディストクラブのカップルや女性が多い。私の目からしても、これらの人物は、特殊な世界に属していることが想像できる。一般の人たちの写真も、異様な帽子をかぶった婦人や、明らかにホモの人たち、女装趣味の人、服装が異常な人、若すぎるカップルと、アーバスの住んでいたNYにはこういう少し変わった人たちがいくらでも見つけることができた。写真展では初期から最後まで年代順に写真を見る。そうして、年代が1970年に近づくについて、アーバスは、明らかに精神が普通でない人達、精神を病んでいる人達、生まれつき病んでいる人達の写真が多くなる。初期の頃は、タイトルもていねいにつけられていた。例えば、NY20番街に住む、頭にカールを付けた若い男とか、1967年のNYで戦争賛成のデモの参加を待つストローハットの少年、といった具合だ。でも、後期になるほど、タイトルは短く、明らかに精神を病んでいる人達の写真にはタイトルが無い。
私は、この200枚写真を見て、気持ちは落ち込んでいった。アーバスの写真は決して、この人達をあわれんだり、見る人にある種の感情を強制するものではない。あくまで冷静な視点で、もう一つの世界を静かに写し取っている。ソンダグは、人類は一つではない、ことをアーバスは表現していると言う。確かに、写真家は、写真によって、新たな現実や別の世界を表現しうる。ソンダグのいうように、写真はライフルのような武器で、この危険な武器によって、思っても見ない世界を開拓することができる。
アーバスの写真の人物は、真正面にカメラに向かっている。写真を見る私と、その人物は正面に向き合って、眼が会ってしまう。別の世界の人物は私を見ている。といって良いかもしれない。普通の肖像ではない、この人達から何かオーラのようなものが出ていて、アーバスは、正面向かって、シャッターを切る。
アーバスは1971年の7月26日に自殺する。その1週間前の7月21日のアジェンダのページには、精神病院でも催し物の記事が挟まれていた。たぶん、この日もカメラを持って、出かけていったのであろう。これまで、自殺した写真家というのは居なかった。アーバスは撮る対象の世界にのめり込み、彼女自身が内面的に傷つき、その蓄積によって、死に至った。としか考えられない。写真がこれほどまでに、人生に重大に意味をもつこと自体、思ってもみないことだ。私はアーバスにはなれないけど、真の写真家アーバスに近づきたい。
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2011年11月05日

パリで出会ったモネ

このパリ5日間滞在は一体、何だったのか?と聞かれれば、それはクロード・モネ(Cloud Monet 1840-1926)の庭園と絵画に出会ったことかもしれない。そうして、偶然にも、ダイアン・アーバス(Dian Arbus 1923-1971)の回顧展に出会っことも私にとっては大きな収穫だった。

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最初は、モネの庭園に行くためにVernonという街に電車で行った。ここからバスでモネの庭園があるGivernyに行く。私は、この小さなヴェルノンという街が気になった。バスからは古い街並みが垣間見えたからだ。ミロの庭園見学をはやく切り上げて、この街を散歩した。何と、ハーフティンバーという木造の街並みが残っていた。15,6世紀の街であろうか、フランボイアンのゴシック様式の教会も見た。フランスの田舎街のこじんまりとした居心地のよさも感じられた。古い街の中心には田舎の美術館があった。展示されているものは雑多で、この街の色んな時代の建物が混ざっている感じがそのまま出ているような気がした。私は、この博物館での最高のごちそうは、窓から見た景色だった。格子戸にはまっているのは、工業化されてからのガラスではなく、気泡が入り、外がゆらゆらとゆがんで見えるガラスだった。ガラスが飴のように溶けた柔らかい状態のままかたまって、板のガラスになったもので、こんな贅沢な、人の気持ちをゆったりと落ち着かせる魔法のガラスはもう探しても見けることができない。

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そしてパリでは、ポンピドーセンターに行ったが、入ることはなかった。このいつまでも工事中のファサードを持つかつての現代建築は、いまでも工事中の活気を保っているような気がした。そのためか、この広場では、何があるわけではないのに、若者がたむろしていた。アフリカのリズムを景気よく鳴らし、それにつられて、踊っていた。
そして、次は、モネの絵があるというので、マルモッタン美術館に行った。確かにモネのさまざまな時代の絵がコレクションされていて、モネの印象派に至るまでと、ハスの庭園を描いてからのモネの流れが良くわかった。明るい光のなかのかがやく色を描いたモネが最後は別の方向に行こうとしたときに、亡くなってしまったのが良くわかった。この美術館は、あまりにも監視人の目が厳しく、もちろん撮影禁止のため、カメラをかまえることさえできなかった。

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最後の日、オルセー美術館に行った。この盛りだくさんの美術館、どんなに時間があっても足りない。10年前、私は江戸東京博物館の展示の仕事をしていた。その時、鹿鳴館の模型を床の下に埋めて、上をガラスで覆って、その上を歩いて、上から鹿鳴館をのぞこうというアイディアがあった。それは、このオルセーにある展示をまねたものだった。そこで藤森教授は、オープンして間もないオルセー美術館に出向いて、その効果を確認してきた。私も、その10年後にようやくそのオルセーの展示を見た。江戸博の方が進んでいた。
オルセー美術館では、印象派に至る前段が多く、なかなか本編にたどり着けない。あと15分で閉館という、アナウンスで、最上階のルノワールとモネにたどり着いた。結局粘って30分は見た。この展示順は良くない。はじめの1階のメインに印象派を展示すべきだ。そうすれば、無駄な時間を費やさなくても良いのにと思った。
やはり、モネの最高傑作は、日傘をもって日に背を向ける女性の絵だ。これは、モネが光を描いた絵の頂点で、白く輝くハイキーな調子がとても気に入った。そして、ルノワールが描く、木漏れ日のなかの人物群は、光の効果を見せる高度なテクニックを見せていた。私は、イタリアの風景画の流れが、クラデ・ロレインからターナーに至り、風景から光を描くところまで行き。そしてこの印象派の人たちが光を描くことからスタートしたことを確認した。今年の年末には、ターナーに会うため、ロンドンに行くつもりだ。

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モネの壁面いっぱいの絵がオランジュリー美術館にある。曲面に展示され、天井から柔らかい間接光が届くように工夫されていた。二部屋、八枚のワイドな絵があった。モネが最後に描いた絵で、亡くなってから公開されたという。二つの部屋の絵は、1日の光と色が刻々と変わるのを表しているようだ。しかし、これらの絵には、光の輝きは少なく、落ち着いた見たままのスイレンの池を表しているようだ。私は、実際にこの庭園を見て、水に反射する青い空や緑の柳とスイレンの葉や白い花とのコントラストが面白いと思った。モネは、そのとおりの色のコントラストを描いた。それを見る方向で、見る時間で、さまざまな表情を見せる。この最後の絵は、その光景の驚きを正直に描いた。光がそれまでの絵の様に強調されていなのは、印象派の時代が終わり、別の時代がはじまっていることを暗示しているのだろうか?モネの複雑な気持ちが表れているのだろうか?
タグ:モネ
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2011年11月01日

信号の止まれの変遷

パリの3日目。きょうはゆっくりして、ポンピドーセンターに行きたい。その前にパリにあるニッポンの本屋さんに寄った。ジュンク堂で、感じとしては小さな街の本屋さんという感じだ。くまなく買うべき本をさがしたけど、何と地球の歩き方のスイス編とよしもとばななの文庫本を買った。その他は、買うべき本が無かったのはさびしかった。もう私は、ニッポンの文化とは縁が切れてしまっているのかなと思った。よしもとばななは、実はイタリア語訳でキッチンを読んだ。それは語学のテキストに選んだためだった。わたしは、ばななのファン。そして、本屋を出たら、ラーメン屋に出会った。さっそく味噌ラーメン6.5ユーロ也でいただいた。満足。ミラノには無いものがパリにはある。
ポンピドーセンターに着いてチケットを買おうとしたら、入る気がしなくなった。ムンクと草間弥生の特別展だ。やめて、1階のブックショップで時間をつぶした。

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ところで、パリの交通信号は、止まれと歩けが絵になっている。その止まれに2つのタイプがある。普通の止まれは、人が立っている図だが、どうも古いタイプの信号機の止まれは、写真のように、両手を腰にあてて、待っている。あたかもバレーのポーズか?あるいは昔の人は手に何も持っていないから、腰に手をあてて、てもちぶさたの表情か?あるいは軍隊の休めのポーズか?よく見ると、その人、空を見ている。明日の天気でも気になるのであろうか?
止まれを表現するのに、歩けは簡単だけど、止まれは難しい。下手をすると、歩けと大差ない表現となるに違いない。まさか、腰に手をあてて歩く人はいないから、これだ、と思いついたのであろうか。でも最近の信号は、止まれは、手を下にしている。最近の人はカバンや、スーパーの袋を持っていて、腰に手をあてる余裕すらないのであろうか?とにかく止まれ、の表現の変遷なのだろうか。


タグ:信号機
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2011年10月31日

秋色のモネの庭園

昨日は、モネの庭園に行った。パリのSt-Lazare駅でVernonに行くというと、すでにバスと電車の時刻が印刷された、電車で行く印象派絵画の旅とかいうチラシをくれた。着いた駅からは、専用バスがモネの庭園まで用意されていた。
ハスの池がある庭は、まさに秋色で、印象派が発見した光と色を見ることができた。モネ(1840−1926)は、43歳から亡くなる86歳まで、ここで絵を描き続けた。たぶん、1日中、1年中、この池を見ていると、光、色の変化を感じることが出来のできたに違いない。その変化する光色の発見を絵にした。
庭園の後はVernonの街を歩いた。フランスの古い田舎街には、木造のハーフティンバーの街並みが残っていた。

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2011年10月30日

秋のパリ

今日からパリに来ている。tuuti santiという連休だ。友人がパリにアパートを持っていたが、事情があって手放すことになった。最後のチャンスで、はじめてのパリに来た。パリは秋だった。

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タグ:パリ
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