2011年12月28日

ロンドンへ

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(easyjetでロンドンへ)

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(バルテリーナの谷が見えた。いつか左の山に登るという話があった。)

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(この後、なんと48人分のスーツケースをミラノに置き忘れ、翌朝になっても届かない。困ったことになる。)


タグ:ロンドン
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2011年12月26日

無意識なノーマル・デザイン

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昔からの友人が、メリークリスマスの返事に、この150年間に東京のファミリーがどんなになって来たかを調べたり、考えたり、しているとあった。では、お前は何を考えているのか?と、聞かれてはいないけど、こんなことを考えている。
この1年は、キッチンやバスの排水や排水部分のデザインをした。手で、押したり、まわしたり、なにかと手と関係するデザインを考えてきた。それは手で握ったり、まわしたり、指で押したりするもので、形のデザインというよりも、手が作り出すデザインというものであろうか。
その代表的なデザインは、ドアの取手だ。私は、このミラノで5年生活してきた。ミラノ中の玄関ドアの取手を知っている。少しオーバーだけど。いろんな形がある。はじめの写真ものは、かなり伝統的なスタイルで、握って回すときに、滑らないように突起がある。美しくデザインされていて、これならクラシックな扉にも調和する。そして次は、ルネッサンス時代のパラッツオにあった勝手口の取手だが、1930年代に改修されているので、たぶんその当時のものであろう。丸ではなくて、四角まるだ。握って回しやすくなっている。
これらの形やデザインは、Super Normal(Naoto Fukasawa & Jasper Morrison)と言われたものの範囲にはいるようだ。しかし、私にはこのSuperは必要がなく、ただのNormalで良い。この形は誰かがデザインしたものではなく、たとえデザインされたとしてもアノニマスな部類と考えてさしつかえない。時代を経て、出来上がったもので、無意識のデザインだ。もちろん、これらの取手は、工業製品であって、大量に生産されているのだが、現代まで引き継がれてきたデザインといえよう。ヨーロッパは、さまざまな文化や人種が入り乱れているためか、この無意識のノーマルなデザインがそこら中に見ることができる。

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Super Normalの表紙の写真にあるビアレッティのコーヒーわかし。私の家には、3個ある。この3個、どうも作られた時代が違い、微妙にデザインが違っている。右端が、たぶんもっとも古く、1950年以降か?真ん中は1980年代?左が数年前に買った現代のもの。右のものは、下の6角形の辺が、カーブしてへこんでいる。上部も10角形でわずかにへこみがある。これは、コーヒーを入れたり、水を入れたりするには、次の写真のように、左手で下部分、右手で上部分を握って、左に回すと二つに分かれる。このへこみがあると、指が角に容易にひっかかり、まわすのに力が入れやすくなっている。中央は、その過渡期で、下は前と同じくへこんでいるが、上部は6角形で、へこみがない。そして、現代のものは、へこみが無く平らだ。なぜ、この美しい曲面の形を平らに変えてしまったのか?製造上の問題か、ミニマリズムの影響か?不明だ。
まあ、とにかく、手がつくりだす無意識のノーマルなデザインを考えたい。ビンの蓋や、フォークナイフの柄やナットネジやハンドル、ワインオープナー、ハサミ、昔のラジオのプッシュボタン、面白いところでは、昔のひげそりのための石鹸あわをつけるはけ、まあ世の中にはたくさんある。手が作り出した無意識のノーマル・デザインを考えたい。当面これが、私の研究テーマだ。
タグ:デザイン
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2011年12月23日

メリークリスマス

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タグ:クリスマス
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2011年12月19日

ブロッコリーなのかカリフラワーなのか?

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(ローマのブロッコリーBroccolo romanescoと呼んでいる)

今日は、ニッポンの知り合いからこの野菜は一体何という名前か?カリフラワーのように見えるけど本当にブロッコリなのか?という問いに、いろいろ食物辞典やネットを駆使して、答えを見つけようとした。
まず、写真の野菜は、ニッポンではユーロスターと呼んでいる、そうだ。こちらでは、特急電車の名前だけど、野菜のごつごつした感じが、星の様だからそう呼ぶのか?このフラクタル幾何のお手本みたいな野菜は、イタリアの食物辞典には、ローマのブロッコリbroccolo romanescoと呼ばれている。ところが、この野菜、どうもイタリアでもカリフラワーcavolfioreと勘違いされる様だ。先日、私が通うスパーでも、ローマのカリフラワーと表示されていた。じゃあ、一体、ブロッコリとカリフラワーはどこが違うのか、そしてこの野菜はどっちに近いのか?名前はブロッコリでも、見た目はカリフラワーに似ているという意見もあった。
まず、ネットでいろいろ調べてみた。サレルノの職業学校のテキストに「キャベツ」と題する格好の資料があった。
基本的に、この野菜はキャベツ科cavoloに属する。さらにアブラナ属で、原種は野生のキャベツから全てがはじまっている。ヨーロッパの歴史からは、このキャベツとカブ(これもキャベツの一種)が古代ギリシャ、ローマ時代から食べられてきた。当時の、レシピにも登場する。そして、中世になって、キャベツの花の部分が栽培され、16世紀には、ブロッコリ、カリフラワーがはじめて食べ物として栽培される。そして19世紀には芽キャベツも出てくる。このローマのブロッコリも16世紀頃が最初とされている。19世紀の料理本にはこのローマのブロッコリも出ているそうだ。
では、植物学的にはどうか?キャベツは、最初アブラ菜(なたね?)からスタートして、キャベツになるのだが、非常に多くの野菜がそれから誕生する。もちろん、葉キャベツ、クラウト、ヴェルザ、黒キャベツ、ブロッコリ、カリフラワー、カブラ、芽キャベツ、白菜などたくさんだ。こんなに、キャベツの種類が多いのかとびっくり。人類はキャベツのお世話になってきたのだ。

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(左ローマのブロッコリー、右カリフラワー、下ブロッコリー)

最初、野生のキャベツが変異して、花の部分が、ブロッコリになり、最後カリフラワーになる、という。どうも、その間にこのローマのブロッコリが誕生すると思われる。ブロッコリとカリフラワーの違いは何か?それは、前者が実(花)の部分が多く枝分かれしているという。後者は、ある程度、実の部分が塊となっている、という。実際に、ブロッコリは、cavolo broccolo ramoso 多枝のキャベツ・ブロッコリと呼ばれている。この3種類の野菜の断面の写真を見て欲しい。下がブロッコリ、左がローマのブロッコリ、右がカリフラワーだ。実際に料理するため、包丁で茎をカットすると、ブロッコリはバラバラになるのに、カリフラワーはそうではない、塊なのだ。そうして、ローマのブロッコリもバラバラになるから、やはり形の上からは、ブロッコリで正しい。
では味はどうか?私は、この3種類の野菜のパスタ料理をした。まず、湯を沸かし、沸騰したら塩を入れ、これらの小さく刻んだ野菜を入れる。数分して、ショートパスタを入れ、ゆでる。ゆであがったら、野菜とパスタを湯からあげて、水を切り、皿に盛る。そこに、コショウ(私はコリアンダーも、適当なハーブ)、粉唐辛子、バター、オリーブ油をふりかけ、最後にパルメザンチーズをあえて出来上がり。もちろん、おいしい。
その結果、生でローマのカリフラワーを食したら、カリフラワーに近い味がした。しかし、調理して味わってみると、ブロッコリに近い味がする。やっぱり、味の上では、ブロッコリと言うのが正しいように思う。
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2011年12月10日

首飾りのプレゼント

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毎年この時期に母へのクリスマスプレゼントを用意する。今年は、クオーツの石の首飾りと靴下にした。少しでも長く元気で、美しく、いて欲しいと思ったからだ。母は大正14年生まれで今年86歳になる。四国の香川県、一の谷村生まれ。あの源平合戦があった近くだ。なぜ都会の神戸出身の父と結婚したかは、たぶん母の父が足袋を製造する工場をその田舎ではじめて、神戸や京都にいつも行っていたのがきっかけ、だと聞いた。母は5人兄弟の上から3番目で、存命なのはその弟と二人だ。母の父は、生粋の明治人で、農家の二男で農業ではなく違う仕事をするために、小学校を出てから京都に足袋つくりの修行に出た。苦労人で、後に田舎で事業を起こした。そして、一ノ谷村の村長も務めた。その子供たちには、教育を身に付けさせ、一番末の母の弟は、京都大学を出て、そこの英文学の教授になった。母は、昭和19年に機械技師の父と結婚して、岐阜の大垣で家庭を持って、私が生まれた。私が、母から受け継いだのは、どうも性格だけではなくて、新し好きのDNAだと感じている。私の祖父は、昭和の初めに足袋が、誰もが必要として需要があるものと着眼したに違いない。そして戦前まではある程度成功した。母は、テレビで料理を学び家族を喜ばせてくれたり、歳をとってから油絵をはじめたり、ピアノをひいたり、植物を育てたり、多彩な暇つぶしをしている。私は母から引きつがなかったけれど、母は美人だった。失礼、いまでもきれいだ。私が小学生のとき、先生が私にエコひいきをしたような気がする。勝手に私の作文に手を入れたり、何かと世話を見てくれた。これは、今から思えば、母が美人だったからだと思う。よく、授業参観日に母が来たときは、まわりの級友たちから、おまえの母さんは美人だ、とはやし立てられたのを記憶している。美人は得だし、その息子も得をした。
今年の、クリスマスプレゼントは、母がもっと長く美人でいて欲しいと思ったから、ネックレスにした。亡くなった父も、納得してくれると思う。
タグ:プレゼント
posted by perabita at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする