2011年10月31日

秋色のモネの庭園

昨日は、モネの庭園に行った。パリのSt-Lazare駅でVernonに行くというと、すでにバスと電車の時刻が印刷された、電車で行く印象派絵画の旅とかいうチラシをくれた。着いた駅からは、専用バスがモネの庭園まで用意されていた。
ハスの池がある庭は、まさに秋色で、印象派が発見した光と色を見ることができた。モネ(1840−1926)は、43歳から亡くなる86歳まで、ここで絵を描き続けた。たぶん、1日中、1年中、この池を見ていると、光、色の変化を感じることが出来のできたに違いない。その変化する光色の発見を絵にした。
庭園の後はVernonの街を歩いた。フランスの古い田舎街には、木造のハーフティンバーの街並みが残っていた。

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ラベル:モネの庭園 モネ
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2011年10月30日

秋のパリ

今日からパリに来ている。tuuti santiという連休だ。友人がパリにアパートを持っていたが、事情があって手放すことになった。最後のチャンスで、はじめてのパリに来た。パリは秋だった。

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ラベル:パリ
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2011年10月27日

ポンペイのたこ焼き?

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先日のナポリに行ったときに、再び考古学博物館を訪れた。この博物館には、ポンペイで発掘された物が展示されていて、興味がつきない。その中に、調理器具が展示されていた。まず、最初の写真は、フライパンだ。しかも丸と楕円ある。が丸のフライパンには、炒めて出たスープか、ソースで魚か肉を煮た後にスープを注ぐ口がついている。これは、驚きだ。確かに、現代のフライパンにだって、もし付いていれば重宝したに違いない。そして楕円のフライパンは、たぶん魚を焼いたのであろう。現代でも楕円のフライパンは見たことがない。魚用の楕円の煮もの鍋と同じ役割をしたのではないか。そして縁に立ちあがりが付いているから、木製のふたがあって、蒸し焼きか、煮たのではないだろうか。相当に進んだ料理を調理していたことが想像される。

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そして、最大の驚きは、たこ焼きがあったのか?フライパンにボール状の掘り込みがある。でも、たこ焼きにしては、このボールは大きすぎる。その可能性があるかどうかだが、材料については、パンがあったから小麦粉は可能だ。タコも当時のモザイコの絵になっているぐらいだから、よく食べた。現在でも、ナポリ人はタコを好物にしている。だったら、ポンペイに巨大たこ焼きがあった。と言いたかったが、あの、半煮えの、糊状の食べ物がイタリアには無い。つまり、あの食感をイタリア人は極端に嫌う。だから、結論的には、たこ焼きはイタリア人の好みでは無かった。気持ち的には残念だ。
では何か?それは、古代ローマ時代の料理書が残っていて、APICIOという人が書いたと言われていて、10冊で、450のレシピがのっている。今だったら、小林カツ代だろう。その中にある、コショウのお菓子(ドルチェ)がこのボール鍋にピッタリだ。
レシピはこうだ。コショウ、ソース、アンチョビのパスタを一緒に一晩浸して、パスタ状態する。これに水を少し加えて、乾燥イチジクを水に戻して加え、松のみ、クルミと小麦粉を一緒にまぜ、30分フライパンで炒めて、クルミとノチョーラを粉にしたもので飾る。
この料理なら、あのボールのフライパンが使える。ボール状の御菓子だ。
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2011年10月21日

甘口イタリア暮らし

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昨日のイタリア暮らしは、少し辛口だった。だったら、甘口、イタリア暮らしを書いてみよう。結局は、辛口と甘口を足してみると、どんな味になるのだろうか?甘辛いか?ワインだって、複雑な味の方が上等とされるではないか。
写真は、昨日と同じく、コピー屋さんのギャラリーで、楽しんでいるイタリア人。こんな笑顔で毎日暮らせたら、幸せだ。

その一、食べもの
イタリアの生活で、一番に楽しいことは、食べ物だ。この話は尽きないのだけれど、私の暮らしのなかでも比重は大きい。はじめに、一体どこで食料を仕入れているか?それは、スーパーと市場だ。スーパーには、いろんな人が買い物に来ている。私の前に、すべての果物に触ってから選んでいるおばさんが居た。その時は桃だった。このスーパーでは、野菜や果物は、必要な分だけお客が選んで、ビニール袋に入れて、自分で重さを量って、出てきたシールを袋に貼って、レジで支払う。この、おばさん、熟れ具合を手の感触で確認していた。もちろんビニールの手袋をして。賢い。私は勉強になると思い、後をつけた。今度は、サラダ菜のような野菜を手に取り、外側のしおれた部分を、取ってゴミ箱に入れるではないか。えらい、これこそ、主婦の鏡。それ以後、私は、このおばさんの買い方に習って、果物や野菜を買っている。毎週、土曜日の午前中には、近所の市場に行く。市場は小さなバンコと呼ばれる店が集まっている。いつも決まったおじさんから、おいしい果物や野菜を買う。しかし、このオヤジ、レジを持たず手で計算するのだが、いつも多目に間違う。あるとき、主婦のお客が、鉛筆に紙を持って、買ったものを自分で計算しているではないか?なるほど、これなら確実だ。主婦はえらい。まあ、イタリアの市場は世界一、たくさんの種類の果物や野菜が集まっている。この季節、リンゴや洋ナシなら5、6種類はある。野菜は、季節感があって、今は何が旬なのかがわかる。味も濃い。ニッポンのビニールハウスの野菜とは違う。この他、ワイン、イタリア料理、パスタ、お肉、魚と、食べ物の豊かさに驚かされる。しかし、ここで気を付けなければいけないのは、食べる楽しみは、そのまま減量の苦しみでもある。

その二、着るもの
イタリアはファッションの国だ、特にミラノはその中心地だ。着る楽しみは、誰だって同じだ。しかし、思い通りに着る物を買うことが出来ない、つまり高い。私が知る限り、ほとんどイタリア人はバーゲンセールで買っている。私もそうだ。年に2回その時期がある。夏物は7月に入って、それから夏の休暇がはじまる前だ。イタリア人のサラリーマンは年に14か月分しか給料が出ない。ボーナスは、一か月分で7月と12月だ。つまり、バーゲンセールの時期と一致している。冬のバーゲンは1月の3日前後だ。クリスマス商戦が終わってからだ。バーゲンは最初から50%とはならない。はじめは15%か20%引きで、徐々に30%、50%となる。しかし、あまり待っていると欲しい色やサイズが無くなってしまう。普段から目をつけた商品をいつ購入するかが問題だ。人気の商品は、はじめから行列で、入場制限があるほどだ。だから、バーゲンの達人にならなければ、おしゃれは出来ない。

その三、天才アーティストとの出会い
イタリア人の作家やアーティスト、デザイナーは昔から天才がたくさんいる。ニッポンでは天才は少ないけど、平均レベルは高い。イタリアは逆だ。だから、いつの時代でも天才アーティストを楽しむことが出来る。私は、カラヴァッジオが好きだ。風景画も、そして未来派も現代アートも好きだ。旅行先では美術館で、散歩道ではギャラリーやショーウインドーで、思わぬ絵に出会うことがある。そして、音楽もタダでクラシックを楽しむことが出来る。毎週、コンセルヴァトリオの演奏会場で新人の演奏会がシーズン中ある。この演奏会、タダだからといって、馬鹿にはできない。大演奏家の卵がたくさん出演する。驚くべき天才にも出会える。教会だって、オルガン演奏会も気を付けていれば行くことが出来る。風の音を心地よく聞くことが出来る。映画だって、演劇だって。アートをクラシックから最先端まで、天才アーティストに出会える楽しみがイタリアにはある。

その四、趣味仲間
最近、私の趣味に登山が加わった。このはじまりは、あるとき友人の田舎の家に何人かの人たちが集まって食事をした。その時、女性の79歳になる登山家が来ていた。山に登るには、何が必要か?と聞いた。登山靴、ジャケット、リュック、つえ、などなど。そうして、初めてスイスの山小屋に一緒に行った。はじめての山歩きはつらかった。最後は、へばって歩けなくなった。その時にサポートしてくれた友人夫妻が、それ以後も、毎週のように一緒に山に登る。私の山の師匠となった。冬には、アイゼンを付けて雪山にも登った。岩山にも行った。足の置き方から習った。私は、こんな風に、運よく仲間を作ることが出来た。イタリア人は、何事も一緒が好きだ。だから、自転車だって、写真だって、スポーツだって、何だって、趣味の仲間を探すのはそんなに難しくは無い。趣味仲間をつくれば、こんなに楽しいことはない。

その五、友達つきあい
仕事をイタリア人とするのは最悪だけれど、友達づきあいなら最高だ、とイタリア人がよく言う。協調性がなく、組織を作ることが苦手で、しかも人を信用しない。でも、利害関係がなく、おしゃべりや、一緒にご飯食べるのがイタリア人は得意だ。私の友人のおばさんは、毎晩違った人と食事をしている。土日は自宅に友人を呼んでごちそうだ。だけど、気を付けないといけないのは、彼女の友達は自分にとって友達かというと、そうでもない。電話をしても誰?とか言われてしまうことも。関係は一方的だ。でも、そんなことはどうでもよい。この写真のパーティは、街のコピー屋さんだ。自分の店でいろんな人を呼んで展覧会をする。そのオープニングパーティに行けば、いろんな人に出会える。私は、たまたまその店の前を通り過ぎて、面白そうだからのぞいたのがきっかけで、それ以後、ズート付き合いは続いている。イタリア人は誰とでも話をする。友達をつくるきっかけは、その気になれば、どこにでもある。ただ、相手に興味を持って、話しをすれば良いだけだ。
ラベル:イタリア 暮らし
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2011年10月20日

イタリア暮らし

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最近、イタリアで暮らしたい、という話を聞いた。一人は独身の女性で、そして引退をされたご夫妻だ。私も、若い頃に、イタリアに暮らしたいと思い、大学を出て、働いて、また留学生試験を受けて、ローマに行った。そして、今度は歳をとってから、5年前にこのミラノに来た。その私が、イタリアで暮らしたいという方にどんなアドバイスができるだろうかと考えた。そうして、五つのアドバイスというよりも、ニッポンとの生活の違いを思いついた。
写真は、このテーマとは関係がないけど、コピー屋さんの店舗でときどき現代アートのギャラリーを開いて、生活を楽しむことには天才的なイタリア人たちだ。

その一、言葉と楽しみ
やはり、どこの国に行っても言葉ありきだ。ビジネスだって、買い物だって、楽しみだって言葉が必要だ。たぶん普通に生活するために半年もイタリア語を勉強すれば、事足りる。「これください」、「いくらですか?」、「ありがとう」で、買い物は問題ない。だったら、それで十分か?といえば、そうでもない。日常生活のなかには、楽しみも必要だ。その楽しみは、言葉が出来るほど、幅は広がる。たとえばテレビは、料理番組、ニュースから映画、そしてクイズ番組やイタリアのテレビ局が好きな討論番組まで、言葉が理解できる順に楽しむことが出来る。逆に、言葉が分からなければ、料理番組を見て終わりとなる。映画だって、演劇だって、そしていろんな情報を知るには新聞も読めなければ、どこで何をしているのか分からない。もちろん、インターネットもあるけど、イタリア語オンリーだ。そして、最大の楽しみは、友人を作ることだ。これも言葉だ。結局、イタリア人と対等におつきあいが出来るには、5年から10年はかかってしまう。その間、常にイタリア語の勉強が常に必要になる。

その二、自己責任というリスク
例えば、イタリアの電車に乗るとき改札というのはない。勝手にチケットを購入して、普通車であれば、チケットにスタンプを駅で自分でして、乗る。降りるときは、そのチケットは必要ない。だったら、チケット無しでも乗れるのでは、と思うのは正しくない。ときどき車内で検札があって、チケットを持っていないと罰金を食らう。大体、相場は1万円程度だ。これは、電車に乗る人が、自分の責任で、チケットを払うことが前提になっている。持っていないと、罰金のリスクがある。ニッポンはそうではない、改札でチケットを要求されるから、電車に乗っている人は責任が無く、改札の駅員が責任を負っている。罰金のリスクはない。イタリアでは、全てのことが、この自己責任によって成される。戸締りだって、交通事故だって、登山でも、買い物でも、病気までも、すべて自己責任、つまり自分の責任において行われ、そのリスクも自分が負う。誰も助けてはくれない。

その三、イタリア人とは
イタリア人が居なければこのイタリアはもっと過ごしやすいのに、と言った人がいた。確かに、このイタリアで長く暮らすには、どうしてもイタリア人との付き合いが必要になる。身近には大家さんやアパートの管理人、役人だったり、郵便局員だったり。ニッポン人のように、予想通り、思った通り、すんなり行くとは限らない。大家さんからは理不尽な家賃の値上げの要求があったり、アパートの管理人からは無視されたり、役人は人によって言うことが違っていたり、郵便局員からは書類の不備で郵送できなかったり。それは多くのイタリア人が個人主義であるためだ。すべてが、自分中心、自分の意見が最優先する。ときには規則よりも彼の意見の方に比重が高いことがある。このやっかいなイタリア人とどこまでも付き合わなければいけない。

その四、重い石の街
このイタリアの街は、石で出来ている。正確には石とレンガだけれど、重い事には変わりはない。街を歩けば、石畳みだし、家の壁は厚さが50センチもあって、太陽があたらなければ、夏でもひんやりしている。重くて冷たい。何年もここで生活していると、その重さに押しつぶされそうになる。ニッポンの街はそうではない、今はコンクリートだけど昔は木と紙と土で出来た軽い住まいの集まりだ。そして、多くのみどりに囲われて、やさしさがにじみ出ている。このイタリアの街は、これから冬に向かうけれど、この地中海気候のため、秋から冬は、鉛色の空が続く。その空の下で、春を迎えるまでは寒さに耐えなければいけない。ニッポンの街は、街の重さと、人の重さはバランスしているけど、イタリアの街は人の重さに比べて非常に重い。人はその重さに耐えなければいけない。

その五、住まいさがし
ローマでも、フィレンツェでも、ミラノでも、住宅難だ。簡単に住まいを探すことが出来ない。私は、現在のアパートにたどり着くまで、2年間に7,8回引っ越しをした。どの家も、何かの問題があった。窓を開けると地下鉄と車の騒音、窓を閉めるとボロクーラーの騒音で眠れなかったり、夜中に上階の老朽化した水道管が破裂して家じゅう水浸しになったり、大家さんは貸した家が心配のあまりいつも訪ねて来たり、薄い壁で隣と仕切られていたり。こんなことは賃貸アパートでは普通のことだ。イタリアの住宅は水回りがひどく、その家のかかり付けの水道屋さんがいるくらいだ。だから、数年かかって、ようやく気にいったアパートが見つかっても、キッチン、便所、シャワー、ボイラー、電気とあらゆる場所を修理しなければ住むことはできない。快適な家が無ければ、快適な生活は保障されない。
ラベル:イタリア 暮らし
posted by perabita at 08:31| Comment(2) | TrackBack(0) | イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする