2011年07月30日

旅日記はミラノに帰ってから

今回、リヨンの旅を毎日掲載するつもりだったけど、何せ、このホテルのネット環境があまり良くなく、写真を掲載することができない。仕方ないので、ミラノに帰って、ゆっくり旅を振り返ってみるつもりだ。
行ったコースは、コルビジエのラツーレ修道院、トニー・ガルニエの工業都市、自転車でブルゴーニュのワインめぐり、リヨンの世界遺産の旧市街、といったところだ。最後の旧市街は、これから行くことにする。どれも興味深く、楽しいものだった。乞うご期待。
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2011年07月28日

リヨン旅日記

一昨日からリヨンに来ている。バカンスで、いろいろ見たいものもあったし、だいたいフランスと言う国も良く知らない。1週間の予定だけど、少しでもフランスの良さを知りたいと思った。初日は、街をぶらぶらした。ミラノと違って、街がきれいというか、カラフルで、新しく感じる。たぶん建築スタイルから建設されたのは今世紀初め頃と思われるけど、メンテや掃除が行き届いて、外壁が白く、新しく見えるのだろう。

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ラベル:リヨン
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2011年07月25日

ワインのラベルの法則

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いつものスーパーに行った。そのワインコーナーで、きれいなラベルのワインを見たので、つい購入してしまった。いつもよりは少し高く、6ユーロもする。イタリアでは、この価格だとお客さんを呼んだときや、友人に招かれて持っていくワインかもしれない。中クラスのワインだ。
しかし、ラベルとワインの中身、つまり味とは関係があるか?私は大いに関係すると思っている。なぜなら、魅力的なラベルは必ずおいしいという法則が成り立つ。従って、ワインのことを知らない私は、ラベルで全てを判断することにしている。この法則は、そんなには間違っていない。しかし、逆の場合、ひどいラベルはワインもまずい、とは限らない。一度、手書きのひどく田舎風なラベルのワインが安く売られていた。誰も手を出さなかった。私はためしに1本だけ買ってみた。ところが、値段の割においしい。しばらくして、数本まとめ買いする人を見かけるようになった。そのワインは、ひどいラベルを変えないで、毎年定番のように棚に並ぶようになった。
今回、購入したワインは、シシリー産で、ドンナフガータDonnafugataというブランド名だ。この名前、トマッシ・ディ・ランペデューサという作家が書いたガッットパルドという小説から名前を取っている。名前は、逃げた女性という意味で、18世紀に、ナポレオンがイタリアに侵入したときに、ナポリのフェルナンド4世の妻が、シシリーに逃げて、この農園の地に住んだ、という。この小説は、ヴィスコンテによって1963年に映画化され、そのドンナフガータをクラデア・カルディナーレが演じている。
ラベルの絵は、それとは別の土着の女神が描かれ、他のワインも全て、シシリーの濃い土地に因んだ絵が貼られている。まだ飲んではいないけど、きっとラベルの絵にふさわしい味がすると信じている。
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2011年07月20日

夕方の信号機

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この写真は昨日の夕方の散歩。撮るべき写真もなく、ただ何となく信号を夕暮れのなかで撮った。今日の夕方は雨が、集中豪雨のような感じで、降ったり止んだりだ。書くこともあまりない。新聞を買って見た。やはり、金融関係で、イタリアはギリシャのような病気にかかっている、という。この病気を治すには、しっかりと経済状況を把握して、厳しく対応していかなければ、いい加減では、とてもじゃないが回復すら難しい。負債をかかえての一種の難病にちがいない。ごまかしではなく、しっかり見据えて、耐えることしか治療の方法は無い。と思う。新聞には、今年の暮れあたりに、地下鉄、バス、トラムの運賃が1ユーロから1.2か1.5か2ユーロに値上がりするようだ。まあ、当然だろうね。
新聞には面白い記事が無い。小さくても興味を引く記事が欲しい。
ニッポンの友人がまた失業したらしい。15回も職場を変えている。こんな時代に大変だろうけど、やっぱりしっかり自分を見て、耐えるしか方法がない。何ともかける言葉が無いけど、がんばってほしい。
なぜか、夕方の信号機の色は、昼間よりあざやかで、夕日のなかで輝いて見える。こんなに鮮やかで、きれいな色だったのか。みとれて、車にひかれないようにしなければいけない。この昼間から夜になる途中の夕方は、いろんなものが普段と違って見える。時代もそうだ、いまはたぶん夕方の時代なのであろう。時代は大きく変わろうとしている。まだ新しい時代は見えない。しかし、変わり目の時代だからこそ、美しく、よく見えるものがあるにちがいない。
ラベル:信号機
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2011年07月17日

ライブ写真の現場

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私の知り合いの人のご両親は福島に住んでおられる。知り合いの本人は東京に居て、小さな子供がいる。ご両親の家は木造2階建てで、ウクライナ製のガイガーカウンターで毎日放射能の線量を測定されているそうだ。1階で0.3マイクロシーベルト、2階で0.6だそうだ。これは1時間あたりの値で、もし1年間そこに住むとしたら、0.3 ×24×365で、何と2600マイクロシーベルトを超える。以前は1マイクロシーベルトが、現在は20マイクロシーベルトが一般の人の被爆の限界ということになっているが、実に130倍の被爆量だ。大変なことになっている。
私は、毎晩寝る前に、福島の原発のライブ写真を見ることにしている。何やらクレーンが動いて作業の様子を観察できる。動きの少ない画面だけど、遠くに人が作業しているようにも見える。動きは、風に揺れる植物や飛び交う鳥たちで、時には曇り空だったり、霧で何も見えなかったりだ。夜は照明で照らされている。
最近、私の家のパラボラからNHKworldという海外向けの番組が見える。そこで議論されている福島原発1号機の現況は、安定冷却に向かって、スケジュール通りに進んでいるという。しかし、私が信奉する小出京大助教の話だと、炉心はメルトダウンを通り越して、炉の外に落ち、地中に潜り込んでいるので、冷却の意味は全くないという。いったい、どっちが正しいのだ。こんな基本的なことで見解が違うというのは、片方がウソを言っているか、あるいは、それほど、何もわかっていないのかもしれない。
それでも、ライブ写真のクレーンは毎朝7時半ころから働き始めて、土日も無く、たいへんな被爆を受けながら、見えない相手との戦いを強いられている。これほどの過酷な現場というものは他には無いだろう。
ラベル:福島原発
posted by perabita at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 原子力発電 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする