2010年09月30日

ボローニャ路上観察フォト

ボローニャに行った。チェルサイエというタイルと水周りの見本市だ。展示を見るのが目的ではなくて、展示している会社の人と会うためだ。早めに終わって、前から行きたかったモランディの家を見に行った。モランディはボローニャの画家だ。彼の家が美術館になっている。残念なことに金、土、日の12〜18時までしか開いていないので、見ることができなかった。仕方なしに、天気もいいので街をぶらぶらあるくことにした。何か面白いものがおちていないか?
でも、なぜ、こんなにボローニャが豊かなのか、不思議に思った。それは、周囲にパダーナというポー川流域のイタリア一の豊かな平野があるからだ。だからこんなに、平日の昼間なのに多くの人が居て、店がたくさんあって、食べ物がおいしい。ちゃんと理由があるのだ。

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つえをついたおばあちゃん、教会でお祈りを終わって、これから家にかえるのかなー。いくつになっても元気でいてほしい。

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ボローニャは、アーケードが多いのが有名。その下は、きれいな大理石のモザイクだ。掃除をしている人に、どうやってきれいにするの?と聞いた。はじめに、油を引いて、その後に、油をすいとるために、木くずを撒いて、はくのさ、という返事だった。モザイクが油でピカピカになっていた。

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向かいの建物に夕日があたる。その後ろに、塔がそびえる。その昔、中世の時代にはたくさんの塔が林立する街だった。そのなごりが今でも。

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これは、金物屋さんにあったクッキーの型。不思議な形があった。これはボローニャ風クッキーなのかな。

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夏が終わっても、この裏通りのアイスクリーム屋はにぎわっていた。ピスタッチオとクリーム、それに生クリームが乗っている。おいしい。2ユーロでひとときの幸せが買えた。

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ポスターをはがしたのだろうか?うらにべったり糊がついていた?こすってはがしたけど落ちない?美しいモダンアートに見えませんか?

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駅近くの建物に、CENTRO TRAUMATOLOGICOとあった。トラウマの病院とは精神病院か?と思ったが、帰って調べたら、どうも外科医院らしい。トラウマとは外傷のこと。今は、普通の会社が使っていた。
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2010年09月28日

MILANO LOVES FASHON

今日は久しぶりに出張で、湖が近くにある工場に行った。その帰りに、ブリティシュカウンセルという去年通った英語学校に寄った。今年も行くか?どうするか、と思って、テストを受けてみた。エディンバラにも行ったし、さぞかし上達したのではと、勝手に思い込んでいたら、試験結果は中級の中で、少しもうまくなっていない。がっかりだ。英語の文法はさておき、話す、聞くは、そう簡単にはいかないことが分っただけでもいいか?また、中の中を地道(こんな字だったか)にするのが、正解かもしれない。英語にかぎったことではないけど。

今、ファッション・ウイークらしい。街中がにぎわっているので、昨日の日曜日に散歩に出た。ミラノは、インダストリーはイマイチだけど、このファッションという第3次産業で息をつないでいる。ミラノが戦後どうだったか?もっと考えてみたい。ある意味で、ポスト・インダストリーという観点からは、ニッポンなんかより先を行っているのかもしれない。

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サン・フェデーレ教会の上空の雲は秋色。

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ドーモ広場には、MILANO LOVES FASHONと書いてある。人々はこれから開かれるファッションショウーの方向を見ている。私は見ないで帰ったけど。

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ドルチェ・ガバーナのマネキンは、絞首刑になる人にかぶせさせる目隠しがあった。袋に名前があったけど、絞首刑を待つモデルだろうか?

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ゴム長だって、こんなにかっこいい。

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これはジョルジョ・アルマーニの店先でたむろするイケ面店員たち。

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なぜか、今年のアルマーニは、スキャンダルの多いナオミ・キャンベルが主役になっている。

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Tシャツにナオミさんのヌード写真はいかが?店内には、どうも本人がいるらしい。店先にたくさんの人だかりがあった。私もそのなかの一人。もちろんナオミさんには会わないで帰った。
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2010年09月26日

少女・ポルチーニ・遅い秋

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昨日と今日の二日分の日記。昨日は、夕方にロレッタ・ラックスLoretta Lux(1969-)の写真展を見た。コルソコモのなかにあるギャラリー・ソッザーニで行われている。写真は少女ばかりが対象になっていて、人形のようなたぶん10歳くらいか、もっと下の子供たちを撮影している。おとぎばなしに出てくるような少女。大きな目、子供なのに、すでに大人になったときのイメージが感じられる。不思議なイメージだ。よくわからないけど、こんなふうに子供を見たことはない。
ギャラリーから本屋さんの窓を見る。外は大雨が降っている。こんな空に、ヴェンタリオ・スメラルドの看板、劇場の名前。そして、スーパーの買い物袋を持った仕事かえりの男性。実は、この最後の写真が一番気に入っている。こんな、なんでもない景色であっても、物語ることがたくさんあるような、そんな写真を撮ってみたい、と、ふと思った。

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そして今日は土曜日、小雨のなか市場に行って、キノコを買った。ポルチーノともいう。2週間前はキロ25ユーロ、先週はキロ18ユーロ、そして今朝は、キロ9.9ユーロの値がついていた。来週はキロ8ユーロくらいに下がるかも。今年は、ポルチーノが豊作らしい。この調子だと、この私でも、ポルチーニが食べられる。早速、300gを3ユーロで買った。家に帰って、オリーブ油でいため、ゆであがったパスタにあえる。ゆで汁を少し加えて十分にマンテカーレ(よくいためて、乳化させる)する。おいしかった。しかし、まだポルチーニ本来の香りが少ない。やはり10月を待たなければいけない。
そして、午後は晴れ上がったので、自転車でいつものマルティサーナ自転車道を走った。その途中、小さな秋を見つけた。すこし黄色くなりはじめのメープルの葉。今年は秋が遅いようだ。
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2010年09月24日

金獅子賞のSOMEWHEREは星二つ

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上の写真は公開スティールフォトより

良い映画をほめるのは比較的容易にできる。でも、良くないと思う映画について語るのは難しい。2010年のヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞に輝くソフィア・コッポラ監督(1971−)のSOMEWHEREはこの後者の部類に入る。彼女は、フランシス・コッポラ監督の娘で、ニコラス・ケージの姪にあたる。昨日、この映画を見た。

主人公のマルコはハリウッドの売れっ子の俳優、見たところ30代後半、撮影の合間は気ままな生活を送る。妻とは別居して、娘クレオが居る。パーティや遊びに明け暮れ、豪華アパート・ホテル・マルモントに暮らす。あるとき、元妻の都合で、11歳の娘と一緒に生活し、イタリア旅行に同行したり、スケートの練習につきあったり、父と娘の、みたところほのぼのとした関係を築く。マルコは、なぜかフェラーリのスポーツカーを乗り回す。そして、あるとき、娘は学校の合宿?に旅立つ。一人になったマルコは、寂しさのあまり、涙ぐみ、フェラーリで、どこか?娘の居るところ?に行く、ところで終わり。
映画は、マルコの気ままな生活を、日常的な映像で描く、が一体何を、見せたいのかわからない。何の葛藤もない。映像は日常的な気楽なもの。セリフは日常会話。生活に魅力は全く無い。フェラーリが唐突に走る。こういう生活がコッポラ監督の日常だとしたら、さぞかし空しい人生なのかが、わかる。
ということで、なぜこの映画が金獅子賞に選ばれたかは、不思議だ。親の七光りか?裏取引か?ネットの映画批評でも二つ星だった。正確には2.75だった。良い映画とされるのが、3星半以上だから、一般の評価も最低に近い。
日常を描いた傑作はシルヴァーノ監督のGiorni e Nuvoleだけど、そこには、葛藤があり、緊張があり、ドラマの展開があり、それらを映像と音で映画空間を作り上げた。このSOMEWHEREには、それらのどれもが無かった。
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2010年09月21日

アンコールの無い現代音楽会

このMITO音楽祭のおかげで、現代音楽のコンサートを立て続けに聴くことが出来た。
最初は、テアトロ・エルフォ・プッチーニで、小編成のアンサンブル、その次は、ミラノオーディトリウムで、ライのオーケストラ、三番目はピッコロ・テアトロで、アンサンブル・モダーンの演奏だった。
どこも、招待作曲家のHelmut Lachenmann(1935-)(最初の動画)とWolfgang Rihm(1952-)(次の動画)の二人で、演奏されたのも彼らの曲だった。イタリアでは、この機会を逃したら現代音楽を聴く機会はあまりない。では、どんなだったかって?それはそれなりに違った意味で楽しむことが出来た。
最初のラーフェンマンの曲は、演奏が非常に変わっていた。楽器を普通に演奏するのではなく、少しばかり違っている。例えば、バイオリンは本来の弦ではなくて、コマの前で引いたり、はじいたり。あまりにも弦を酷使するので、演奏途中で切れてしまい、動画では、平然と演奏途中で取り替える場面がある。クラリネットは、スースーと音を出さない。時にはリード部分を取って、吹いたり、平手で打って、ぽんぽん、といわせる。最高に面白かったのは、ピアニストが口にへらのようなものくわえて、演奏する。ときどき、そのへらで、ピアノの弦をはじく。そして、トランペットやバスーンが、ピアノに近づき、ピアノの弦のある内側に向かってプ〜と吹く。その後に、演奏者とは別の人がピアノを大きな普段は大きく開いているフタを開けたり閉めたりして、ピアノの音を変えようとしていた。すべてがこんな調子だった。
リームの曲は、演奏は普通だけど、リズム、メロディーがなく、音の羅列だ。打楽器や管楽器が多用され、どことなく、他の音楽を連想させる。インドネシアのガムランやニッポンの太鼓のようだ。全く新しいものをつくるのは難しい。
ミラノのオーディトリウムでの演奏会(最初の動画)には、巨匠ピアニストのポリーニや、美術評論家のドルフレスを、会場で見かけた。
とにかく、現代音楽を楽しむことが出来た。ただ、現代音楽の演奏会では、どんなに拍手をしても、アンコールが無い、ということ、がわかった。



タグ:現代音楽
posted by perabita at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする