2010年02月28日

ストリートアートとは?

ミラノ市が現代アートのセンターとして、元の工場跡地を再開発しているところがある。蒸気工場つまり火力発電所?La Fabbrica del Vaporeというところで、そこで、壁のデザイン−ストリートアートからビデオウォールとか言う立派なタイトルで、数日前に市長が視察したという新聞記事があった。それならば、行ってみようと、本日出かけた。場所はミラノの中華街の裏にある。しかし、とんでもない展覧会だった。史上最低で、こんなレベルの低い展覧会もめずらしい。恥ずかしくて、写真も撮る気がしなかった。だいたい、この工場跡地はすでにいくつかのアーティストグループが借りていて、小さな展示などを行っているが、どれもイマひとつで、官製のモダンアートはこんなものかという見本のようなものだ。

私の理解では、ストリートアートは二つの特徴があると思う。一つはメッセージ性で、現代アートが失った、アートの機能を回復しようとしている。現代アートの多くは、アーティストの独自の世界の話であって、一般の人たちか見れば、訳が分らない。ひとりよがりの世界かもしれない。それが理解できたとしても、そうか、で済んでしまう。でもストリートアートは違う。例えば、イギリスのバンクスキーなどは、戦争中のパレスティナに出かけて行って、壁に絵を描くが、その絵を見たイスラエルの兵隊は、バンクスキーを殺そうとする。それほど、その絵には、見る人に、戦争に対するアイロニーや敵対心をメッセージとして伝える。しかもアーティスティックにだ。そこが、ストリートアートが獲得したメッセージ性だと思う。アートが意味を持つことができた。
二つ目は、ストリートアートは絵画のような売り物ではない。ときには違法な行為とみなされる。誰でもが、タダで鑑賞することができ、消すことも可能だし、さらに落書きをすることも可能だ。もちろん、写真をとってもかまわない。著作権の違反で訴えられることはない。バンクスキーのように有名になってしまっても、その顔は知られていない。ストリートアートでは、アーティストは否定されているのかもしれない。アーティストでないことが、ストリートアーティストの条件なのかもしれない。

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その工場跡地のアートセンターのすぐ近くに、相当まえに描かれた優れたストリートアートが消えかかっている。バンクスキーもどきも見られる。でも、もうストリートアートの時代は過ぎてしまっている。現ミラノ市長は、ミラノ清掃事業に予算をつけて、ミラノ中のストリートアートを消してきたという背景もある。
その通りで、見つけた、車に引かれたキーボードの方が、官製の展覧会よりも、現代的なメッセージ性がつよいかもしれない。

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帰りのミラノ地下鉄で男が倒れた。救急車は10分ほどで到着し、さらに到着して、脈を計ったり、いろんな措置をして10分経過した。病院にはあと10分かかるとして、倒れてから救急病院で手当を受けるまでに30分かかる。これがミラノでは最短時間のようだ。
最近、南イタリアで、救急車の到着が1時間30分遅れた。そのため倒れた人は死亡したというニュースを聞いた。だから倒れるならミラノ市内で。他では命の保証はない。
この続きは「食らすかミラノ」をご覧下さい。
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2010年02月24日

絵葉書のくにスイス

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スイスに出張した。場所は、ラッパースィルRapperswilという街にある会社を訪ねて打合せをした。感覚的には、イタリアの会社よりも何事につけても現代的で、理解しやすい。会社の様子は非常にスイス的だった。それは、大きな会社なのに、会社の中が異常に静かだ。人の出入りは普通のように見えたが、物音がしない。むろんバックグラウンドミュージックなんてのもないし、電話の音さえしない。ウーン、このような環境だと、世界戦略を考えられるのか?と思った。スイスにはグローバルな企業が多い。

ミラノからラッパースィルまで電車で4時間、むろん日帰りだけど、街を歩く時間があった。寒いのではないかと心配したが、温度計を見ると、夜は0度まで下がるが、昼の午後2時には10度近くになる。春の暖かさだ。お昼はバルに入り、サンドイッチにコヒーを頼んだが、ドイツ語しか通じない。斜め前にいたスイスのオバサンは英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語を話せて、何とか注文できた。サンドイッチのチーズが非常においしかった。物価は、イタリアの1.5倍ぐらいだけど、年収はニッポン程度だから、まあまあだと思った。

この国、山と湖が多く、農業は豊かではない。だから世界戦略の大企業と、銀行で食べている。大企業は、静かな環境で考える開発研究所と本部しかなく、工場はドイツや東欧にある。だから、お金持ちで、静かで、環境汚染はない。良いところばかりをとった国なのだ。街には人が少なく、店も少ない。イタリアから来ると、何かにつけてさびしいが、スイス的には、この上品さが生活のクオリティなのだ。

こういうところでは、風景写真はすべて絵葉書になってしまう。山、空、湖はウソっぽい、おとぎの国の景色のようだ。こういう景色の中では人は小さくなって、遠くを眺めているしか、過ごしようがない。お前はスイスが好きかと聞かれたら、時々行って景色を眺めるには良いけど、この静けさには耐えることができない、と答えるだろう。
タグ:スイス
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2010年02月22日

カーヴァ公園は春

カーヴァ公園に行った。例によって、自転車を地下鉄に乗せて、1番線の終点、ビシェリアで降り、10分ほどでカーヴァ公園parco di cavaに着く。途中で、新聞を買い、公園で日に当たりながら見た。100ページ近くもある分厚い日曜版なのだが、まったく面白くない。決して不真面目な記事が載っているというわけではなく、しかも1ユーロから1.2ユーロに値上がりしたにもかかわらず、内容は薄くなっているように思う。

その中に、昨日行ったパドバ通りの事件についての記事があった。結局、1週間経って捜査でわかったことは、ありふれたケンカによる殺人だった。当初は、移民間の衝突(エジプト対南アメリカ)とかいうのではないのだ。たぶん、それは当局が、公共の秩序を持ち出すための、でっち上げの口実だったのだ。パドバ通りは、少し外国人が多いけど普通の町だって言うことだ。最近のイタリアは、何かあると移民を締め出すことばかりを考え、すこしおかしいと、言わざるをえない。

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そんなことは別にして、カーヴァ公園の散歩は気持ちよかった。春の日差しが、ススキやわた毛をまぶしく照らし、水辺はキラキラがとかがやいていた。この公園は、自然のままに残すのが目的の公園だから、ありのままの樹木や水辺を見ることができる。いわゆる公園ではない。ここは2度目だから、今日は先の方に行ってみた。そうしたら、昔の農家の建物がそのまま残っていて、現在は乗馬クラブとして使われている。石の水のみには1779の年号が、今から230年前だ。フランス革命が1789年だからその10年前に、この農家は建てられたようだ。馬のウィリー君と目が会ってしまった。

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さらに池の周りを散歩していたら、釣りをしている人を見かけた。ええ、公園の池で堂々と魚を釣ってよいものか?と思った。そうしたらどうも、ここには、ヴォランティアのアマチュア、スポーツ釣り協会というのがあって、ここに加入すれば魚を釣ってもよいらしい。この協会は1933年からあって、池の整備やお祭りや普及活動を行っている。魚は巨大なマス、コイ、スズキ、うなぎなど、15,6種類いるとある。
春のカーヴァ公園は、平和で、池の底には百歳を超える大魚がうねっていて、ひょっとして、恐竜たちも生きているかもしれないなー。
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2010年02月21日

パドバ通りを行く

ブログの更新をサボってしまった。心を入れ替えてがんばることに。今日は午前中から久しぶりの太陽が出てきもちよく、用をすませて、パドバ通りに行くことにした。パドバ通りは私の家の近所で、ロレート広場からはじまる長い通りだ。いわば、通りの名前の通り、パドバ方面に行く、かつては郊外だったが、いまは都市化が進み、ミラノの端という感じだ。悪い言い方をすれば、場末になる。

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このパドバ通りで、先週の土曜日に事件が起きた。19歳のエジプト人の若者が、この通りで、南アメリカ人の男にナイフで刺されて亡くなった。この事件は、無法の移民たちの暴動のように報道された。車を横倒しにする人たちの写真が新聞やTVで見られた。このパドバ通りは、この数十年に、アジア、アフリカ、南アメリカ人の移民が多く住む地域になっていた。事件は、この通りの状態を好ましく思わない政治家には好都合で、マローニ内務大臣は、すぐに警察隊を送って、公共の秩序の名のもとに、無法移民を取り締まろうとした。しかし、その後、暴動ではなく、今日私が歩いてみたところ、平和な街にもどっていて、街行く人も、事件に関心を示していないようなそぶりだった。事件のあった場所には花束が置かれ、若者の写真もあった。向かいの壁には、写真展のポスターの女性がにらみを効かせていた。
これと同じような事件が中華街(サプリ通り)で起き、ミラノ市は交通規制を行い、中国人の店舗の締め出しを行った。ここでも同じ手法で、移民の追い出しをするのだろうか?わからない。

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その、パドバ通りの事件があった場所の向かいに、大きな公園がある。ここは、かつて1928年に太陽の家と称して、学校、牧場、いろんな施設が整備されたところだ。そのなかで恵まれない子供たちのための宿泊施設がパドバ通りに面している。この建物、戦争中爆撃に会い、そのままとなって、いまは廃墟となっている。1950年代に復興しようとしたが挫折していた。ファシズム時代には、公共の秩序が、とってもきちんとしていていた。こども達も当時の写真を見る限り、整列をしていたようだ。

パドバ通りは、いまの自由で、少しばかり混乱しているが移民とイタリア社会が共存しているのが良いのか?公共の秩序のもとにファシズム時代のように整然としているのが良いのか?私は、現状の街の方が良いような気もする。公共の秩序を言うならば、先に、このすばらしい公園の整備を進めて欲しいと願う。
posted by perabita at 04:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ミラノ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

戦後イタリアの写真展と「La Dolce Vita」

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Mario De Biasi Piazza Duomo 1951


きのうは久しぶりの散髪とFORMAという写真画廊でおこなわれている展覧会に行った。そして夜は、フェリーニのLA Dolce Vitaを見た。

展覧会は「1945−1975のイタリアの写真展」というもので、Paolo Morelloという人のコレクションをまとめたものだ。戦後のイタリアの社会の変貌を反映したものだった。全体に12章に分けられて展示され、そのタイトルが面白かった。そしてその章で印象に残った作家と作品の年号を記しておく。
1.否定されたくに Federico Patellani
2.外国の影響 Mario de biasi 1951 Federico Ferroni 1953
3.死と聖と Mario Giacomello 1955 Carlo Bevilacqua 1957
4.ブタペスト1956  Mario de Biasi
5.大地の経験 Mario Mimonella
6.都市、世界 Mario de biasi 1972
7.おとぎ話のヴェネツィア Gianni Berengo Gardin 1960
8.詩人、仮面、役者、幻影 Carla Cerati 1963
9.不動のサークル Mario Lasalandra 1967
10.三次元空間 Vitterungo Contino
11.秘密 Paolo Monti 1964 Gianni Berengo Cardin 1963
12.女性のかたち Carla Cerati 1972
イタリアの写真の歴史は、ニッポンとも良く似ていて、戦後の復興、混乱、新しい時代、都市と農村、TVの時代と、全世界の同時性を感じた。250近くの作品が展示され、興味を引いた作家は、GiacomelliとBiasi(上のドーモ広場の写真)だった。そして、Gianni Berengo Gardinは、昔、トスカーナという写真集を持っていたが、その作者であることをはじめて知った。美的な風景を撮る人だ。

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そして、その後は夜9時からオーベルダン劇場で、フェリーニFederico Fellini(1920-1993)特集のLa Dolce Vita(1960)を見た。実は、フェリーニの映画のなかで見たか見なかったか?記憶が薄くなっていた。内容はタイトルどおりの、パパラッチと協力して記事を書く、たぶんゴシップのジャーナリストの話。この映画の新しさは、テーマはさることながら、映画の作成手法だ。パーティや友人、アメリカ女優、父の旅行、うその奇跡、貴族的なパーティなどのエピソード、シーンが、主人公のマルチェッロ(本名になっているのも興味深い)の生活のように、連続してつながっている。その間の脈絡、ストーリー的な説明はない。観客は、マルチェッロと一緒に行動しているような錯覚で、あたかもマルチェッロのドキュメントをみているようだった。だから、彼の気持ちや態度が、説明的ではなく、自然に理解できる。今では、当たり前の映像の手法なのだろうか?とにかく、フェリーニあるいは映画史のなかで、最も優れた映画の一つなのでは、と思った。ニーノ・ロータの音楽もなつかしかった。
posted by perabita at 20:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする