2010年01月30日

ミラノから見たイタリア映画祭

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この1月29日から2月7日まで、「ミラノから見たイタリア映画際Il cinema italiano visto da Milano」が行われている。すでに8回目だ。場所は、ミラノのオーベルダン劇場Spazio Oberdanとなっている。私は、この映画祭は毎年欠かさず見ている。その理由は、前の年2009の優れたイタリア映画が全て見ることが出来るからだ。しかもタダで。いってみれば、東京でおこなわれるイタリア映画際のイタリア版のようなものだ。映画好きにはたまらない企画。この財政難でも、これだけはちゃんと行われるのは、イタリア人も相当に映画好きにちがいない。

初日の昨日は、失われてしまったかつての映画を復元したものを上演した。「私の夫の夢Quel Fantazma di Mio Marito」(1950)で、コメディタッチの夫と妻の、最近の映画ゴーストのような物語。でも同じ時代の小津安次郎(1903-1962)の「麦秋」(1951)の方が相当にレベルが上だなと思った。

記録のために、主な上演映画を列記する。全部だと60本くらいあるそうだが、勝手によさそうなものと、見たいものを選んだ。この映画祭のもう一つ良いところは、映画の監督がちゃんと会場で挨拶することだ。どんな人が作ったか確認できる。

Giallo a Milano(S.Bsso監督)ミラノの黄色、中国人街のドキュメント。見逃した。
Vincere(S.Bellocchio)勝利、ムッソリーノの話。今年もっとも評判が良かった。見た。
La Doppia Ora(G.Capotondi)ダブルの時、スリラー?Filippo Timiという人の脚本
Milano negli anni di piomboミラノの鉛の時代のドキュメント。
Housing(F.Di Giacomo)ハウジング、住宅建設のドキュメント。見るつもり。
Deci inverni(V.Mieli)10の冬、ドラマ これも評判が良かった 見ることができない残念。
Cosmonauta(S.Nicchiarelli)宇宙飛行士、政治的なドラマか?
Poesia Bianca(S.Massi)白い詩、イタリアのアニメ 見れない残念。
Tutta colpa di Giuda(D.Ferrario) 全てジュダのせい。
Nel nome del male(A.Infascelli)悪の名前、家族のドラマ。
Good Morning,Aman(C.Noce)グッドモーニング・アーマン。
Baaria(G.Tornatore)バーアリア、3世代のわたる街と人の物語。見た。
L’uomo nero(S.Rubin)黒い男、プーリアは舞台のコメディ。
Lo Spazio bianco(F.Comencini)白い空間、母のドラマ。評判が良かった。ぜひ見たい。
ラベル:ミラノ 映画祭
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2010年01月27日

オルガンの響き

この日曜の夜に、サンタ・マリア・パッシオーネ教会でミサがあった。そのミサというよりは、オルガンの音にさそわれて、にわかクリスチャンになった。普段でもオルガンはミサに必要な楽器だが、その日は、バッハが演奏された。曲は次のようだった。
Johann Sebastian Bach(1685-1750) Toccata in d-moll
J.S.Bach An Wasserflussen Babylon
Dietrich Buxtehude(1637-1707) Ciaccona in e-moll
Johann Pachelbel(1653-1706) Praeludium,Fuga,Ciaccona in d-mall
私は、オルガンの響きに気持ちよく、酔いしれていた。
部分的に収録できたのは、3曲目と最後の曲だった。おつとめが無ければ最高の演奏会場なのだろうけど、教会のオルガンは音楽愛好家のためのものではない。演奏者はCarlo Mazzoneという人だった。でも西洋の音楽はここからはじまっているのがよくわかる。月曜日の夜もピアノで、ベートーベン、シューマン、リストを聞いた。やはり、リストの音はモダンで、とても自由で、現代に近いと思った。その後、ラベルやドビッシーになるのかと思うと、この二日の間に、音の歴史を味わったことになる。とても幸せなことだ。






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2010年01月26日

映画「生まれてくる人l'Uomo che Verra」

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イタリアのイメージは明るくて、陽気なイタリア人というのは普通だ。ところが意外に暗い表情もある。というか、多いような気がする。歴史的にそういう暗い部分を忘れようとする気持ちはイタリア人も同じだ。第2次大戦後、しばらくの間、この話は忘れ去られていた。

この話とは、戦争中にナチがイタリアで行った大量虐殺のことだ。その史実がもとになって、映画化され、つい先日、公開された。この実際に起きた事件は、ボローニャからそう遠くない丘陵地帯の村、マルザボットMarzabottoで起きた。1944年の9月29日から10月の5日の間に、当時、地域を占領していたナチは、パルチザンに逆襲する意味で、地域の多くの農民、しかも年寄り、女性、子供を大量虐殺した。その犠牲者は、800人近くに及んだ。男達やパルチィザンはその時、山奥に逃げて、難をのがれたという。この戦争犯罪の首謀者は、ポーランドの田舎出身のワルテル・レデル(1915−1991)という将校で、1951年に終身刑となった。その他の十数人の協力者も、何と2007年に裁判が行われ終身刑が言い渡された。

映画に登場する村はモンテ・ソーレMonte Soleというところで、ここでは、195人、28の家族が犠牲になり、その中に50人の子供たちが含まれていた。映画は、ジョルジョ・ディリッティGiorgio Diritti(1959−)。ボローニャ出身の監督。タイトルはl’Uomo che Verraという。私は「生まれてくる人」と訳した。ストーリーは、1943年にモンテ・ソーレ村で暮らす8歳の少女マルティーナが主人公。彼女は何かの障害で言葉を話すことが出来ない。両親は農業を営み、母親は弟を身ごもっている。自然のなかで、豊かではないが、昔からの生活が営まれている。戦争になり、ドイツ軍の兵士との交流もあった。食物やワインを分けたりしていた。戦争が激しくなり、パルチィザンの活動が活発になって、様子が激変した。そんななか1944年9月28日に、マルティーナの弟が生まれた。同じころ、ナチのパルチィザンの捜索がはじまり、村人が殺され、少女の両親、家族も虐殺されてしまった。しかし、マルティーナは、赤子の弟と共に洞窟に隠れ、ナチの虐殺から逃れることが出来た。最後のシーンは、マルティーナが誰もいなくなった家の前で、弟を抱いて、子守唄を歌う。なんと言う感動のシーンか。涙したときに、明るくなり、会場からは拍手があった。

この映画は、2009年のローマ国際映画祭でグランプリを獲得した。毎年5月の連休中、東京で行われているイタリア映画際で、上演されることを期待したい。しかし、同じヨーロッパ人が同じ人々を殺すという、理解できないところが戦争というものなのか?
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2010年01月25日

枯れ木の墨絵

運動不足の解消のためにいつもの公園に自転車で行った。今日もいつものように曇っていて、思いっきり寒かった。たぶん、写真を撮るようなことは無いと思っていたが、念のためにカメラを持って行った。さすが、この寒さで、公園には犬の散歩と競技用自転車を走らせる人が居るだけだった。空を見上げると、曇り空に枯れ木の枝が。この季節、全ての樹木は葉をつけていないヌードになっている。でも、少しばかりの枯れ葉や実をつけていて、それぞれが個性を主張する。私は、樹木の名前を知らないから、いっそのこと裸の方が比較出来てわかりやすいと思った。丸い実やイガイガの実、枝ぶりがやさしくあやしい色気が漂うものや、男性的な枝ぶりなど、さまざま。シルエットになると色さえも消える。曇り空のキャンバスに墨絵を描いたような冬の景色だった。

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ラベル:枯れ木
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2010年01月24日

ティム・ウォーカーのPictures展

今晩はたまたまコルソコモ10にあるギャラリーに通りかかったら、ティム・ウォーカーTim Walker(1970-)という写真家の写真展覧会がオープニングだった。
この人、ヴォーグ誌などでファッション写真家として有名らしい。1994年にロンドンの美術大学を卒業した後、ニューヨークでリチャード・アヴェドンの下でアシスタントをし、その後ロンドンにもどり、新聞社で働き、25歳のときにヴォーグ誌のファッションの写真をはじめた。順調にファッション写真家としての職業についた。

この展覧会のタイトルがPicturesとなっているのは、撮っているのは、写真ではない。どの写真も現実のものではない。部屋に飛行機があって、パイロットがいる。大きなカタツムリやワニと一緒にベッドに居る女性。パンで出来た飛行機に乗るパイロット。円盤にのるミセスリスマン。パステルカラーのネコ。とすべてこんな情景が、白日夢のように展開する。こどもの頃のイメージなのか?ちょっとイギリス的な世界のなかで、日常とは違った夢の中の世界がある。部屋の中に自然がつくられていたりする。それをたまたま写真というもので、写しとったという訳だ。だからファッション写真も同じ白日夢のようなものではないだろうか?現実ではなくて、つくられた、イメージの世界のお話のようなものかもしれない。だから、このTim Walkerの展覧会は、現実を写し撮った写真ではなくて、つくられたイメージを、描いたPicturesなのだ。







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