2009年10月31日

私の空

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私はときどきフクヘンというブルータス副編集長の鈴木芳雄さんのブログを拝見する。その最近の記述の中に、アーティストの秋元さんが空の写真を募集しているのを知った。そうか、私も応募してみよう、と昔、撮った雲の写真を探した。最初の3枚だ。最初は、2006年の5月30日に、自分が住むアパートのバルコニーから見た空だ。そのときのことを今でも覚えている。おお、嵐が来る。そして、次は、今年の6月、ドーモ広場を歩いていたら、カーテンのような雲が下りてきた。ただし、この空の写真の募集には、空以外のもがあってはいけないのだけど。そして、その次は今年の7月で、夏のやさしい雲だった。それ以外は、昨日、今日に撮影した。
昔、イタリアの友人とドライブに出かけとうとしたとき、友人は、今日の天気は快晴というわけではないという。しかし、私には青空が広がって、晴れているように見えた。しかし友人は、遠くを指差して、あの雲があるじゃないか、という。イタリア人にとって快晴とは、雲ひとつ無い空のことを言うのだと、初めて知った。そして、イタリアの空といえば、この、雲ひとつ無い深い青空のことだと思っていた。イタリアのイメージのなかにこの青空があると、思ってきたが、絵画の世界では必ずしもそうではない。
というのは、風景画を書いてきた画家たちは、決して快晴の空を描いてこなかった。ヴェネツィア派の風景画もそうだし、ローマでイタリアの風景画を大成したクラウデ・ロライン(1600−1682)の画集を見ると、夕日に輝く雲や、うす曇が流れる空、風でちぎれていく雲など、どれもやさしく、心やすらぐ雲の空だった。風景画の空は、決して快晴ではなかった。
そういう訳で、昨日、今日に撮影したのは、まさに風景画家たちが描いたやさしい色とかたちの雲だ。そうだ、これがイタリアの空なのだと、考えをあらためた。
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2009年10月29日

「ナポリは天国さ」

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更新が遅れた。この前、古本屋さんに行って見つけた本がある。ルチアーノ・デ・クレッシェンツィオの「べラビスタのナポリ」Luciano De Crescenzo,la Napoli di Bellavistaという、モンダドーリから1979年に出版された写真集だ。この著者は、ナポリ生まれで、たくさんのギリシャ哲学やエッセーの著作があって有名な人。前にこの本を一時期知り合いから借りていて、再びこの地で出会い、うれしくて買った。
ナポリは、古代ローマ時代以前からすでに都市があって、中心街は古代のギリシャ時代から街があった。スパッカ・ナポリといわれている。写真にあるように、人間味豊かな街だ。物売りとドロボーがたくさんだ。実は、私も数十年前に、友人と歩いていたら、後ろからオートバイで来て、私のカメラをひったくった。私は倒れて、あっちこっちをすりむいた。でも、街のナポリ人は親切で、車で病院まで連れて行ってくれた。傷はたいしたことがなかった。
この写真集、すでに昔になってしまった街の様子を写している。文章もある。たとえばこんな風に。ドットー(学士さん)、ナポリ人にとって、信号の赤は決して、通ってはいけないという規則ではないよ、まあ、アドバイスみたいなもの。
「おお息子よ、私は赤だ。おまえは好きなようにしてよいよ。渡りたければどうぞ。誰もそれをとがめたりしないよ。確かに、慎重に、止まりたければそれもいい。その時は、止まるぞーと言う必要がある。でないと、後ろに続く人がつっかえてしまうよ。」
「では緑は?」
「法律では自由という意味だよ。でもそれを信じてはいけないよ。赤でも通過する車もあるから。右左を良く見て、車がいなければ通れば良い。」
「じぁあ、黄色はどうなの?」
「それは何も言うことは無い、それはまさに喜びなのだ。」
その昔、ローマからナポリ行きの列車で、私はナポリ人に、「ナポリは住みやすいか?」と聞いた。そうしたらその答えは、「ナポリは天国さ」だった。
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2009年10月26日

LOVE DESIGNバザー

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昨日は朝から快晴で気持ちが良かった。日曜日の朝はいつも起きたら、新聞を買いに行く。ニッポンのように新聞を自宅まで届けてくれるサービスはないから、新聞スタンドまで行く。その広場から、周囲の建物を青空の背景で、写真を撮った。朝日は、夕日と違って、光が強く、光温度も高い。したがって、割合と正しい色に写る。そして3枚目の写真は、公園のなかの漏れた夕日が、木々の間に落ちたのを撮った。光温度は低く、黄色い色に染まっている。やはり、くっきりと美しい写真を撮るなら朝日、なんとなく雰囲気のある写真は夕日というわけだ。

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その買った新聞によると、この金、土、日で、いつも行くモダンミュージアムPACで、デザインもののバザーをやっているようだ。今日(昨日)は最終日。午後から早速出かけてみることにした。毎年行われているこのLOVE DESIGN展は、ドリアデ、カッシーナ、ダネーゼなどの有名メーカーの照明器具、ソファー、イスや小物を、定価の半額で展示販売している。見ると、スタルクのソファーが300ユーロとか、照明器具が200ユーロとか、確かにリーズナブルな価格だ。いつもこのくらいだと、もっと売れるのにと思った。最終日なので、かなりのものが売り切れになっていた。
私は、ナベのフタを買った。サンボネットというフォーク、ナイフのメーカーで、ステンレスで重く、フライパンのフタにちょうど良い。45ユーロが25ユーロになっていた。最後の一枚と言うから、迷わず買ってしまった。このフタをすれば、目玉焼きが上手にできる。うれしい。このミュージアムの裏が公園になっていて、ピカピカひかるフタを出して、夕日にかがやく王宮を写真に撮った。いい感じにゆがんでいる。
そして、夜はカルカノ劇場Teatro Carcanoに行った。この土日はミラノで演劇祭が行われている。4ユーロでお芝居が見ることができる。モラビアという人の作品で、息子、娘、母、父の家族関係のお話しで、残念ながら拍手もイマイチで面白くなかった。もう少しユーモアと皮肉を織り込んで、いただけたらと演出に注文をつけたい。
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2009年10月25日

ヴェロナで見た奇妙なもの

この2日間、ヴェロナに出張に行った。この街も何度か訪れたのだが、2泊もしたのは始めてだ。街中のホテルは避けて、都心から離れて住宅街のなかにあるホテルに宿泊した。快適だった。駅、街からバスで往復したが、このバス、ミラノに無いよい点があった。チケットを持ってなくて乗車しても、普通1ユーロのチケットのところ、1.2ユーロを払えば、バス内の自動販売機でチケットが買えることだ。ミラノだと、夜はチケットが買えず、し方なしに無賃乗車で、検札がきたらどうしようと思いながら乗る。意地悪なミラノのバスは、無賃を摘発して高額な罰金を取り立てる方針なのだ。よっぽどヴェロナのバスの方が良心的だ。
ところで、仕事の合間に、ヴェロナで出合った奇妙なものを紹介する。世の中、気をつけてみると、変なものがいっぱいある。奇妙なものは、まじめなものよりも、愛すべきものだ、ということに気がついた。

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実は、お仕事の合間に、カステルヴェッキオのミュージアムに行った。天気が悪く、写真を取る気になれなかった。でもふと通りかかったら、奇妙な絵に出会った。作者はジョヴァンニ・フランチェスコ・カロットGiovanni Francesco Caroto(1480-1555)。まさにルネッサンス時代の真っ盛りの時代に描かれた、現代のスナップ写真のような絵画だ。手にしているのは自分の?弟の?昔書いた?落書きを手にして笑っている。いつの時代も子供の絵は変わらない。しかし、当時の形式的な絵とは違って、「どうでしょ、うまい絵でしょ」と言って笑っている。どう考えても、携帯カメラで取った写真にしか見えないのだけど。

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この絵も同じミュージアムにあるもので、ピエトロ・ロンギPietro Longhi(1702-1785)の作だ。家族の主人と妻がコヒーを飲んでいて、その子供たちが4人と、乳母とカーテンで顔をのぞかせる男が描かれている。いわば家族の肖像画。ベラスケスのような?でも、このカーテンの男いったい何なの?下男?間男?乳母の夫?これも、「写真を撮りますよー」とよばれて、カーテンから顔を出したように見えるけど。

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これは、ヴェロナ郊外のホームセンターに行って、食事を近くのショッピングセンターで食べることになった。私は、水、ホットドッグ、ポテトチップで締めて5.7ユーロ払った。そうしたら、店員さんは、ホットドッグ用の小さなコッペパンを、写真の中央に見える大きな釘状のものに挿した。この棒は中に電熱が入っていて、パンを焼いているようだ。焼けたら、そこの開いた穴にケチャップとからしを入れた。そうして、隣で焼いているソーセージを突っ込んで、ハイ出来上がり。うーんなんとも奇妙で野蛮な作り方だ。

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キッチン道具の店に通りかかったら、こんなものがあった。これでケーキを取り、持つところをギュート握ると、手前のところが前に伸びる。そうか、ケーキを取って、ひっつかずに皿に盛ることができるのだ。便利な代物だ。でも下品なサービスの仕方のように思えるけど。

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街中のメルカート・ヴェッキオの中庭を見たら、奇妙なゲームをやっていた。ゲームの名前はシチアンコSciancoとよばれ、大昔からあるらしい。小さな木を、人が棒で飛ばしていた。取り囲んだ人たちはそれが飛ぶのを妨害しているようだった。

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そして最後はジュリエットの家。この家のバルコニーは、コシックなのだが、この建物にあるヴェネティアンゴシックとは、明らかに時代が異なり、しかも作りと彫刻が下手で、あとから取ってつけたようだ。だいたい、こんな大仰なバルコニーがなぜ中庭にあるの?シェークスピアの物語にあわせて、作ったまっかな偽者だ。まあいいじゃないか。
ロミオの家があるという。行ってみたら、カニョロ・ノガローラの家、ロメオの家と言われている、と看板があった。確かにジュリエッタの家があるからには、ロメオの家も無くてはいけない。ウソをつくとそのウソのために次のウソをつくようなものだと思った。
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2009年10月22日

Edward Hopperの楽しみ

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ミラノは1日雨だった。雨の日は暗くて寒い。夕方になって、車のヘッドライトや街を照らす街灯、窓の明かりがついて、ようやくほっとする。それまでは、うす暗くて、ミラノが北のアルプスに近い街で、いよいよ冬の季節がはじまることに、気づかされる。気持ちまでが寒く、どんより落ち込む。今日こそ、前々から行こうと思っていたホッパーの展覧会を見ることにした。

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エドワード・ホッパーEdward Hopper(1882-1967)は二つの大戦の間に生きた作家で、アメリカの時代を描いた。街、建物、風景と人物をたくさん描いている。でも何よりも、ホッパー自身も言っているが、建物の壁にあたる光を描きたかった。そう、ホッパーが一番楽しみにしたのは陽の光だ。それが建物の壁面にあたり、ハイライトを作り、明るいリアルな色を写し出し、さらに微妙な色の変化をも作り出す。そして、影の部分では、影でつぶれてしまうのではなく、違ったトーンの色がある。一つのシーンのなかに、二つの違った色の世界が展開する。妻が朝陽を浴びて、ベッドから外を眺めている絵がある。この絵のために、色のスタディをした鉛筆のスケッチが展示されていた。そこには、腕の光が当たる部分の色から影になる部分の色に、微妙に変わっていく色がメモされていた。人物全体に、たくさんの色が使い分けられていた。ホッパーは光が作り出す色の変化を楽しんだ、と思う。いろんなアメリカの日常的な普通の建物を描いた。その建物の平らな壁に光が当たる。が、決して平坦には塗られてはいない。光のタッチと影のタッチがつくりだすコントラストを楽しんだに違いない。私も、ホッパーのように、フォトで同じような楽しみを見つけよう。太陽の光があるときにね。
posted by perabita at 07:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 美術・モダン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする