2008年12月31日

ジオ・ポンティのテンペスタの大理石カット

10年くらい前に、キッチンのカウンターを大理石で作るということになって、岐阜県の赤坂というところの石材屋があったところに、石を見に行ったことがあった。当時、すでに、大手の石材屋は中国に移転してしまって、国内には満足な大理石のストックは無いという話だった。わずかに残った、すでに板状に、スラブと言っていた、カットしたものの中から選ぶしかなかった。満足なものは無かった。

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このイタリアでは、いまだに大理石の産地は健在で、豊富な石材の中から選ぶことが出来る。このぜいたくな環境のなかでしか出来ない、大理石貼りの建物がある。ジオ・ポンティGio Pontiが設計したパラッツィオ・モンテカチーニPalazzo Montecatini(via moscova3)で、最初が1936−38年、次が1947−59年の建設だ。
たまたま今日、この建物の前を通りかかったので、よく観察した。建物全面に大理石が貼ってある。この大理石の模様が、普通と違う。あたかも木目のように見える。大理石の名前は玉ねぎの大理石marmo cipollinoと呼ばれている。この大理石のカットの仕方が、普通と異なっている。大理石は、木と同じように目がある。普通は柾目(木の年輪が縦に平行に筋が入る)のように、目の断面が見えるようにカットする。ところが、ジオ・ポンティは、木目(柾目と違って、年輪を切断し、山形や渦巻きが出る)のようにカットした。大理石を、木目のように、雲や、渦巻き、山形の模様が見える。このようなカットはいままでに無かったようだ。彼は、テンペスタTempestaと呼んだ。カットした表面が嵐の雲のように見えるから、そう名づけた(と思う)。テンペスタで、表面を貼った建物は、あたかも木のように、ソフトで、不思議な暖かさのイメージを生み出している。

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もう一つのポンティの大理石を貼った建物がある。カーサ・ラシーニCasa Rasini(corso Venezia61)で、白大理石は、普通のカットだが、わざと模様をそろえない貼り方をしている。モノトーンになることを避けるためだろうか?

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年末の今日は夕方、ほんの少しだけ青空が見えた。テンペスタでなはいけど、おだやかな雲模様だった。
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2008年12月30日

マニエリスムな別世界の風景

昨日の続きで、カステッロのミラノ市のミュージアムの中の絵画館を見た。どんな風景が描かれているのか?興味がわいた。
このミュージアムでは、フラッシュをたかなければ、自由に写真を撮ることができる。ルーブル博物館と同じだ。だいたい、著作権問題が無ければ、手持ちで写真を撮るのは自由にさせて欲しい。ブレーラ美術館なんかは、ダメだという。その理由は、美術館のカタログが売れないからだという。それも変な話だ。

ところで、この絵画館にある16世紀の絵に、どのような風景画が描かれているのか、少し興味があった。独立した風景画というものが出てくる前には、何が描かれていたのか?

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これは、Francesco Galli という人の1495年に描かれた、 Madonna con Bambino。背景は、左側はお城と街の風景で、右は、川?に船が浮かんでいて、背景はレオナルドダビンチの背景画のように、岩山が林立している。中国みたいだけど。もちろん、想像で描かれたもので、非現実の世界のようだ。

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次は、Marco d’Oggionoが1510年に描いたMadonna con Bambino。左右の絵はつながっているようで、背後のアルプスのような山があり、河が流れている。こんな風景は現実にはない。

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Antonio SolarioのMadonna con Bambino 1514年。これは、トスカナのような丘陵地帯で、オリーブだろうか?木が植わっている。でも背景にはアルプスのような山脈が描かれている。

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Antonio Sacchiese のRittoratto di Gentleman 1530年。湖の中にある島が描かれ、村か宮殿がある。ミラノの北の湖の様だけど、その後ろに、奇怪な形の島が見える。こなると、わざと珍しい風景を、想像して描いたとしか考えられない。

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最後に、Enea Salmeggiaという人のMadonna in gloria col Bambinoで1603年の作。都市の風景はミラノのようだ。左側にサン・ロレンツィオのような巨大な教会が描かれ、その背後には、うっすらと、もっと巨大な建物が見える。右手には、想像のタワーのようなものが二つある。前景はリアリティのある城壁や市街のようだが、かすんだ背後は、作者のイメージで描かれた未来派の建物のようなものがそびえている?
17世紀に風景画が出現する前は、背景として風景が描かれ、その風景は現実のものではなく奇怪な、イメージのなかで、作者が作りあげた、不思議な別世界のように見えた。時代はマニエリスム。
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2008年12月29日

フォーク・ナイフ・スプーンのお話し

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久しぶりにカステッロつまりスフォルツェスコ城の中にあるミラノ市美術館に行った。
お城の今年のクリスマスの飾りつけは、なかなか工夫されていた。電飾が、点いたり消えたり、広告塔のようで、しかもミュージック付きで、音を楽しみながらイルミネーションを見ることができる。

3ユーロを払って、いつもの絵画館を見た。そして最後まで行ったら、小さな扉があって、次があるではないか。いつもは、そこまで行かずに引き返すのだが。狭い階段を登ると、大きなミュージアムがあった。主に、陶器、ガラス、楽器などが展示されている。

その中に、カトラリーのコレクションがあった。サンボネットというメーカーのコレクションが寄贈されたみたいだ。フォーク、ナイフの歴史をたどることができる。

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これは、15世紀のスプーンで、プリミティブな形をしている。最初に必要とされたのは、スプーン、そしてナイフ、最後にフォークという順らしい。スプーンがないとスープが飲めない。他のものが手でつかめは何とか食べることができるけど。

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旅行用なのか?当時の人はナイフ、ファオーク、スプーンを持ち歩いていた。ケースまである。スプーンは、フォークをさして使うようだ。そうすると、昔はマイナイフだったのか?16世紀のもの。

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17世紀のフォーク、スプーン。ほとんど現代のものと変わらない。

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ジオ・ポンティのデザイン。1935年。

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ロベルト・サンボネットのデザイン。1973年。

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アキーレ・カスティリオーネのデザイン。1997年

ところで、スプーン、フォークについて、意外なことに、出くわしたことがあった。ある著名なニッポンのデザイナーが、ニッポンのメーカーのために、カトラリーを一式デザインした。そのお披露目を青山のショールームで行った。たまたま通りかかったので、一通り見させていただいた。そうしたら、リゾット用のスプーンという表示がされていた。普通リゾットはフォークで食べるのだけど。そのデザイナーは、イタリアでリゾットを食べたことが無かったのかもしれない。リゾットは、フォークですくうくらいの柔らかさがちょうど良いとされている。
また、こういうこともあった。ニッポンの熊本で、有名なホテルで、会食があった。カレーが用意されて、スプーンがそえられていた。主催者のお年のいった、偉い人は、カレーはフォークで食べるものだ。と怒って取り替えさせていた。たぶん、イギリスではそうなのだろう。
また、フォークとナイフはヨーロッパ、イタリアでは長さが同じだ。ただ、アメリカのナイフはフォークよりも長い。たぶん、イタリア料理ではスパゲティを食べるためにフォームは長めに出来ているのか?アメリカはそうでもないのか?でも、歴史的に見たら、ナイフがフォークよりも長いのがわかった。いろいろある。
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2008年12月28日

聖なる夜にふさわしくない話題

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聖なるクリスマスの夜は、キリストの誕生を祝って、友人や家族が集まって食事をする。私達も、友人、知り合いが10名ほど集まって、食事をした。普通食事の時の話題は、旅行に行った時の話とか、田舎ではこうだったとか、私はこんなことが好きだとか、料理の自慢話とか、さしさわりの無い内容が普通だ。
何とこの夜は、政治のお話になってしまった。魔が差したか、聖なる夜に悪魔に導かれて、ドイツのユダヤ人が虐殺の話しにまで行ってしまった。今朝の雲行きの様に。

私の隣の、お年の女性、引退前はベレッタというイタリアのピストルを売っていた。悪くいえば、武器商人で、気が強い。その向かいは、紳士というか、知性のある男性。
元武器商人の女性は、ドイツでの大量虐殺は、スターリンのシベリアでの犯罪に比べれば、大したことではない。と向かいに紳士に言った。
紳士は、そんなことはない、最近ユダヤ虐殺について、イスラムのコミュニスタは全くウソ、全部がつくり話ではないが、大げさで、ほとんどが虚偽だ。と言う。イギリスでは、イスラム教徒は、歴史の教科書からこの事実を消し去ってしまった。
さらに、元武器商人は反論をして、「のろわれたユダヤ人」と、言った。
そのとたん、紳士は、爆発をしてしまった。大声で、恥知らず、こんな人と同席はできない。許せない。といって、妻と一緒に帰ったしまった。
他の人は、あっけにとられて、何が起きたのか?さわがず、事の次第を理解しつつ、最後まで食事をした。

お前も何か言えというので、この間、イタリアのTVで、広島、長崎の原爆のドキュメントを見た。ニッポンではほとんど放映されない、残虐なドキュメントだった。そして、広島と長崎の原爆の種類が違っていた。ということを初めて知った。と述べた。なんとも、クリスマスの夜の話題にはふさわしくない。

ヨーロッパ人にとっては、戦後は決して終わっていない。ユダヤ人の虐殺は同じ大陸で行われたし、ファシストとの市街戦や大量虐殺が身近なところで起こった。戦後を終わりにしようというニッポン的な発想は全く無く、いまだに戦争の尾を引いているのだ。
今朝、紳士から、お詫びのメールが来た。メールには、ユダヤ人の虐殺の事実を忘れてはいけない。ことがこまごまと書かれていた。
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2008年12月27日

リバティのタイル絵のある家

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自転車で都心に出る時はいつもこのマルピーギ通りVia Malpighiを通る。非常に短い通りだけど、ここにリバティ、フランス流にはアールヌーボーの建物の傑作が集中している。その一つにカーサ・ガリンベルティCasa Galimbertiというのがあって、1902−1905年に建設された。この建物の外壁には、彩色されたタイル絵が貼られている。下にはドレープを着た女性が居て、樹木が上の階まで伸びている。ミラノでもこのようなタイル絵がある建物は少ない。

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実は、このタイル絵を見て思い出したことがあった。1980年頃、今から30年近く前に、イスタンブールに行ったことがあった。その時に、丘の上の街で、偶然に、喫茶店に入った。そこでトルココーヒーを飲んだら、銀のスプーンの裏にコンスタンティノーブルという刻印があった。イスタンブールの前の名前だ。少し、高級な雰囲気の感じの良い古い店だった。その店の壁面に、このミラノのカーサ・ガリンベルティの壁面とそっくりのタイル絵があったのを思い出した。春、秋と絵が二つあって、店の人に聞いたら、フランスから今世紀初期に輸入したものだと言う。そうか、その当時から、この店はあるのだと、感心したのを覚えている。

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そして、2年前に、イスタンブールに行く機会があって、その店を探した。ガラタサライ地区らしい。もう昔のような雰囲気は無くなっていたが、その喫茶店とタイル絵は健在だった。通りは大通りになっていて、大変な人通りになっていた。トルコは、この30年の間に大変な発展をした。それだけではない、当時、対岸のユスキュダルUSUKUDARには、木造の住宅地が立ち並んでいて、歴史的な地区として、保存とか、いろんな動きがあったのを覚えている。それが、今度行ってみて、すっかり無くなって、写真でみるような倒壊寸前の木造住宅がぽつんとあったのを発見した。何か、むなしさがこみあげてきたのだった。
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