2009年07月10日

美しい廃棄物の風景写真

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ファブリカ・デル・ヴァポーレ Fabrica del Vaporeというところで開かれている写真の展覧会を見に行った。展覧会自体は小規模で、しかもグループ展だった。展示のテーマは、人と環境とかいうテーマで、地域の変貌する風景、アパート、殺人事件があった別荘地など、どれも興味深い内容だった。なかでも、私が気に入ったのは、アントニオ・ザンバルディーノAntonio Zambardinoという写真家の「廃棄物」という作品で、ナポリ地方のゴミ埋め立ての風景だ。ゴミというこの世の必要悪のようなものが、しかも焼却もせずに地面に埋め立てられ、自然の環境を破壊しているにもかかわらず、この人の写真は美しい。臭いや最悪の環境なのに、撮影された映像は、実に光や、雲や、風景が美しく演出されている。そして、会場の入り口にあった禁煙のハリガミの写真にあるタバコを吸う人の満足げな様子。これじあ、タバコを吸ってリラックスしてくれ、と言わんばかり。
この会場になっているファブリカ・デル・ヴァポーレは、ミラノ市が運営するアートセンターのようなもの。大昔、1936年ころまでは蒸気機関車や車両を作っていた工場だった。だから会場の名前は蒸気機関車工場とでも訳せる。そして最近、ミラノ市が工場跡をさまざまなアートの団体に貸している。例えば、昔の遊びを復元するグループ、映画とビデオ、パーフォマンスとダンス、視覚美術、図書館、建築とデザイン、演劇、音楽、彫刻、視覚コミュニケーションなど、の分野のグループ、団体が使用している。ビンボー?なミラノ市が、こんなに文化にお金をつかっているのは、すばらしいことで、うらやましい限りだ。
この会場は、中華街の近くにあって、久しぶりに行ってみた。パオロサプリ通りは、何か、半年前とはがらりと様子が変わっていた。市は、中国人の経営する卸店を郊外に移すようにすすめた結果、通りに中国人は少なくなり、店も相当に移転した様子だ。いつものCD屋によって、中国(台湾)の井上陽水、DI KE NIU ZI のCDを求めたが、もう新しいものは入手できなかった。
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2009年07月09日

ノッテ・ビヤンカの賑わい

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今週からバーゲンセールが始まった。私は、ミラノ一のショッピング街のブエノスアイレスの近くに住んでいるから、季節ごとに、バーゲンがどんなだったか知ることができる。見るところ、いつもと変わらずという様子だけど、賑わいがいまひとつだ。そして、今日は、ノッテ・ビアンカと言って、一晩中、というか普段は7時半ころに閉店するのだけど、夜中の12時ころまで店が開いている。ブエノスアイレスの大通りは車を遮断して、歩行者天国になり、大掛かりな屋台?ゲームや子供向けの遊びや、食べもの屋が出る。ショッピング半分、遊び半分で、楽しむというもの。
どんな屋台があるかって?のぞいてみた。はじめに、中央にプラスティックの白鳥が水の上に浮かんでいて、水と一緒にぐるぐる回っている。それを、輪がついた棒で、つるのだ。そして白鳥の裏に点数が書いてあって。その合計で、商品がもらえる。人気だった。
そして、次が、モダンな商品、アイポットとか時計、携帯などがコップのなかにあって、ぐるぐる回っている。近い、下の方が安いもので、上の方ほど高いもの。お客は、輪投げをして、入ったら獲得できる。だが、コップは緑の台に載っていて、輪はこの台の下に落ちる必要がある。コップまでは簡単だが、下までは難しい。でも大変な人気だった。
そして昔からあるぬいぐるみを吊るゲーム。子供たちがいっぱいの滑り台。パンツェロットという揚げもの、いわば平らなドーナッツを作って売る店。などなどいっぱい。
最後に、1883年からやっている歴史的な金物屋が店を閉めるという。最初は刃物のとぎ屋だったらしい。コリーニという店で、金物屋というのがはやらないのか、今度の100年に一度の不景気が直撃したのか分らないけど、何だかさびしい。
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2009年07月08日

キッチンメーカーVarennaに行った。

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かつてイタリアに来る前は、建築関係の仕事をしていて、イタリアのヴァレンナVarennaというキッチンの輸入をしていた。そのキッチンメーカーのヴァレンナを、久しぶりに訪れた。工場のあるところは、ミラノからローカル電車で1時間くらい行った、インヴェリーゴという田舎だ。私はこの、駅からの眺めが大好きだ。緑がいっぱいの丘に、教会や別荘が散在していて、さぞかし快適な環境だろうといつも思っていた。平野部には家具などの工場がたくさんあり、北イタリアの工業地帯となっている。

久しぶりにヴァレンナのキッチンを見た。大型の高級キッチンのスタイルは変わらず、こんな大きなキッチンを、どんな住まいに入れるのだろうかと、いつも思っていた。まあ、世界中のお金持ちがお客さんだから、と想像したりする。しかし、システムキッチンの良いところは、小規模なキッチンにも対応できるところで、ニッポンの住宅にも十分適用することができた。
ヴァレンナは、ポリフォルムというこれまた高級家具メーカーに属していて、キッチン自体、家具的な発想でデザインされている。キッチンは家具の一部と考えられている。どうも、そのあたりも、料理をする私としては、しっくり来ないところでもある。
もし、理想のキッチンがあるとしたら、エコロジーな、今様なスタイルが想像できる。まず、スペースをコンパクトにまとめ、小さくても、機能的、効率的なキッチンがよい。たとえ大金持ちでも、適切な大きさが良いに決まっている。そして、水を汚さなくて、野菜や食べ物を洗えて、下準備が気持ちよく出来るのがよい。調理も必要なものはすぐ近くに整理されているのがよい。常に扉で隠されているよりは、目に見えるところに道具があるとよい。食事が終わって、ごみを上手に処理できるのがよい。ごみや残り物で水を汚さないのがよい。食器や調理器具は使用頻度に従って、効率的に、コンパクトに収納できるのがよい。また、最近のキッチンは、居間との境がなく、一般家具の一部のような存在になっているので、キッチンの使い方が変わって来ていることも、重要なことだ。
昨日の朝方は、集中豪雨だった。インヴェリーゴに着いてもまだ曇り空だったが、ミラノに帰る頃には、さわやかに晴れて、お気に入りの丘の景色も午後の光でかがやいていた。
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2009年07月07日

重婚だったムッソリーニの秘密

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カンヌ映画祭2009に出されたけど、賞を取れなかった映画がある。タイトルは「VINCERE勝利」だ。昨夜、見ることができた。本来なら、この映画こそ賞を獲得しても良いような気がした。しかし、フランスの映画祭に、ムッソリーニを描いた映画が賞を取ること自体、無理な話しだ。監督は、マルコ・ベロッキオMarco Bellocchio(1939-)。
話しは、ファシストのムッソリーニが首相になる前の1910年頃。ムッソリーニは、記者としてトレントに滞在したことがあって、イーダ・イレーネ(1880-1937)と知り合う。イーダは地方の街の市長の娘で、パリで学校を出て、ミラノで洋服や宝石の店、いわゆる流行の最先端のブティック、をしていた。そのミラノで、再びムッソリーニと会い、愛人関係になる。イーダは、ムッソリーニが主宰する新聞や政治活動のために、店を売って、資金をつくる。献身的につくした。
ムッソリーニは、第一次対戦に行き、重傷を負ってしまう。その病院で知り合った、女性ラケーレ・グイディ(1890-1979)と1915年に結婚してしまう。そして、同じ頃、イーダは、ムッソリーニの息子ベニートを生む。その後、ムッソリーニは1922年に首相になり、ファシズムの体制を築いていく。
これらは、すべて事実で、最近2001年に、ムッソリーニは重婚だった。という記事が新聞に出た。それまでは、この話しは、余り知られていなかったようだ。
そして、ムッソリーニとイーダの関係は、悪化し、政治的にこのイーダとの関係を打ち消そうとしたのか、イーダを精神病院に収容してしまう。イーダは生涯、病院の外に出ることはできなくて、17年後に亡くなってしまう。イーダの家には、教会でムッソリーニと結婚した記録や、手紙が多く残されている。手紙には、「あなたは、父親として自覚はないの?美しく優れたあなたと生き写しの息子なのに。なぜ愛してくださらないの?….」と、訴えている。やがて、息子のベニートも、精神病院に収容され、1942年に亡くなっている。
映画は、最近の研究で明らかにされた、イーダとベニートとムッソリーニの関係を、当時のドキュメントを交えながら描いた。映像は幻想的に美しく、イーダの愛と願いをきめ細かく再現している。ムッソリーニをこれほど愛した女性がいたことも驚きだ。
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2009年07月05日

ミラノ中央駅の悲しい記憶

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月曜日に出張に行くので、電車のチケットを買いにミラノ中央駅に行った。家の前のエージェントでは、最近1チケットにつき1ユーロの手数料を取るようになった。小額だけど、チケット代金からコミッションを取り、お客からも取りで、何だか許せない。それで、駅で並んで買うことにした。

せっかくだから、最近ようやく改装が完成したミラノ中央駅Milano Centraleを見てまわることに。このミラノ駅は、1925年着工、1931年7月竣工となっていて、スタッキーニUlisse Stacchini(1871-1947)の設計による。ムッソリーニが首相に就任したのが1922年だから、この駅は、ファシズムの威信をかけたモニュメントだった。ただの駅がこんなにも巨大で、大仰なデザインである必要はない。しかも都市的には、長く大きな建物が街を分断し、ミラノやローマの終着駅は、じゃまものでしかない。また、駅がモニュメンタルに巨大であるもう一つの理由は、鉄道は、車や船舶と同様に、新しい時代をになっていたからだ。その証拠に、駅のホールに、機関車、車(写真)、船のレリーフが飾られている。だから、時代の最先端とファシストたちの好みとしても、大きく、重々しく、しかもモダンである必要があった。これを反映して、レリーフと彫刻が古代オリエント趣味のクラシック、モダンなアールデコー調と、ファシストのシンボルが随所に見られる。ただ、当時書かれた標語のようなものは戦後に消されて、今は無い。今回の改装では、このアールデコースタイルの照明がいくつか復元されている。なかなか面白い。
イタリアの都市は、都市がたどってきた記憶を記す場所でもある。ニッポンの都市のように時間の記憶が消えてしまうということはない。輝かしい記憶もあれば、悲しい記憶もある。一番端の21番線ホームの壁にこんな碑が書かれていた。「1943年12月から1944年5月の間に、この駅の地下から、ユダヤ人の男、女性、子供たちや反政府活動の人たちが、アウシュビッツや他のナチ収容所への長い旅に出た。彼らの記憶は我々のなかに生きていて、20世紀の大量殺戮の犠牲者だ。それぞれの苦しみは我々の苦しみだ。」この文章は、プリモ・レーヴィPrimo Levi(1919-1987)で、自身もアウシュビッツに送られ、生還した、イタリアの作家のものだ。
新しいミラノ中央駅の改装は、これまでのチケット売り場狭く、東西の交通遮断を解消するために、長いランプ式のエスカレータを導入して、全てが1階からスムースにアプローチが出来るようにした。なかなか優れた設計だ。照明、レリーフ、天上の明り取りなどが修復された。
posted by perabita at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ウルバニスティカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする